がんと向き合う

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臼井 和子さん
(うすい・かずこ)
声楽家
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日本の音大声楽科を卒業後、1979年フィレンツェに留学、以後イタリアに在住。2005年、日本に一時帰国中に腹痛・発熱で病院を受診。S 状結腸がんが見つかり手術を受け、その後イタリアで術後補助化学療法を受ける。副作用に苦しむが家族やがん専門心理学者の支えもあり、半年間の抗がん剤治療を終える。現在手術から4年が経過し、チャリティ・コンサートなどを積極的に行っている。
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3イタリアで受けた化学療法

「(イタリアに)帰った翌日、すぐに大学病院のその先生のところに行きました。『年齢もまだ若いので、かなりきついけれども8クールやりましょう』と言われて、『新薬だから絶対にいい』と何度も先生は強くおっしゃいました。それと『(この薬は副作用で)髪が抜けることがないわ』と言われたのもやはりすごく魅力的でした。日本の化学療法では『髪は全部抜けます』と言われたので、やはり女なので髪が全部抜けるというのはショックでしたが、『それは髪が抜けないのよ』とおっしゃったときには、『じゃあ、がんばれるわ』と思いました。

その薬とはオキサリプラチン(※1)で、もうひとつの抗がん剤カペシタビン(※2)も併用しました。やはりたいへんな治療で、1回目は体の中にまだそれほど薬が投与されていないので副作用ももちろんなく大丈夫でした。吐き気もまだメチャクチャ強くはなく、錠剤の吐き止めを飲んでいたのを覚えています。しかし2回目からだんだんとしんどくなってきました。

一日だけ大学病院の治療室に行き、そこで点滴を受けて終わると帰ってきます。そして翌日から(自宅で)抗がん剤を朝晩飲み、それが2週間続きます。それが終わると1週間は休養で、胃を守る薬以外は何も飲みません。その間に血液検査を行うということが全部プログラムにきちんと書かれていて、それが終わると第2クールを受けに行きます。化学療法はデイケアで受けていました。それが8クール続いていきます。」

※1 オキサリプラチン
1976年に日本で合成された抗がん剤。臼井さんが手術を受けた2005年8月当時、日本では「切除不能な進行・再発の結腸・直腸がん」には使用が認められていたが、「結腸がんにおける術後補助化学療法」には使用が認められていなかった(承認されたのは2009年8月)。欧米では当時、いずれの場合も標準治療薬として位置づけられていた。
※2 カペシタビン
こちらも臼井さんが手術を受けた2005年8月当時、日本では「結腸がんにおける術後補助化学療法」に使用が認められていなかった(承認されたのは2007年)。2009年9月には「切除不能な進行・再発の結腸・直腸がん」にも使用が認められた。
●抗がん剤の副作用―吐き気

「副作用はまず吐き気でした。どの化学療法を受けている人にもあると思いますが、それはもうたいへんなものでした。吐き気止めも普通の錠剤とか飲み薬ではぜんぜん効かないので、もうとにかく3日間ぐらいは吐きまくるという感じでした。とにかく匂いも、食べ物を見ただけでも、すごい吐き気がありました。でも食べないと抗がん剤を飲めないということもあり、先生に電話して『もっともっと強い吐き気止めをください』と言いましたが、その薬もあまり効かないので、あとは化学療法の初日の点滴に、強い吐き気止めを混ぜてもらったのを覚えています。」

●抗がん剤の副作用―手足のしびれ

「手先がだんだんしびれてきて、冷たいものを絶対にさわれない(※3)ので、冷蔵庫・冷凍庫には絶対手をつけられず、娘が冷蔵庫の前に『手でさわらないように』という表示をして、冷蔵庫のなかのものを取るときには、娘か主人を呼んで取ってもらうことにしていました。『冷たいものも絶対に飲んではダメ』と(医師に)言われていたので、お水も温めて飲んでいました。冷たいものを飲むと、飲んだ途端に全部が凍っていくような症状でした。

※3 オキサリプラチンに特有の副作用として、低温または冷たいものにさらされると誘発または悪化する末梢神経障害(しびれ、刺すような痛み、疼痛ほか)がある。多くは手や足などに認められる。

私が化学療法を受けたのは冬で、外に出ると手や足がすぐしびれてくるので、とにかく暖かくして、手にはまず毛糸の手袋をして、その上に革の手袋をする。足もタイツの上にソックスを履いてブーツを履く、ブーツも中にウールが張ってあるものを履くとか。それでもやっぱり寒いとしびれてくるのですよね。あと顔は隠すことができないから、本当に寒くなってくると、顔の皮膚が麻痺してくるような、唇の辺りが凍ってきているという感触があって、自分がしゃべっていることが本当にわかるのかなというような感じを受けました。化学療法が終わった後でも、まだしばらく何ヵ月間かはしびれがありました。

それと治療を受けに行って点滴をすると、手がこん棒になったみたいに痛いのです。点滴が終わって家に帰るときには手を上げることも下げることもできず、しばらく痛くて、撫でても痛かったです。それはもうなんともならないと思うのですが。痛みが治まるクリームというのを主人が買ってきて、それを毎日、気休めに塗っていました。別に痛みは取れなかったと思うのですが、なんとなく少し気休めになったかなという、そういう症状がありました。」

●食事との闘い

「『朝はしっかり食べてから錠剤を飲みなさい』と言われていたので、たいへんでした。本当に食べたくないし、でも食べないと錠剤が飲めないから、その時はいつも温かい紅茶に蜂蜜を入れて飲んでいました。それとあまり冷たくないヨーグルトと、クロワッサン1個はもちろん、薬が強いから1個半ぐらい食べなさいと言われましたが、なかなか食べられなくて、途中で投げ出したくなることも多かったです。当時、主人のお母さんも来ていたときがあり、『たくさん食べなさい、たくさん食べなさい』と言うのですよね。言われれば言われるほどつらくなって絶望的になることも多かったです。食べないと飲めないから、もう本当に歯を食いしばりました。食べても、だめだと薬も一緒に吐いてしまうことになるので、がんの先生に説明すると『別に(薬を)飲み直す必要はないわ。なるべく吐かないようにね』と言ってくれたのですが、たいへんでした。食事をすること自体が悪夢に思える、そんな状態がずっと続いていきました。

もう死んだほうがましだと思いました、本当に。手術でもたいへんだと思ったのですが、こんなにしんどい治療だとは夢にも思わなかった。まず、自分がまさかがんになるなんてことは絶対に誰も信じないですよね。手術して助かったということで希望が見えてきたのですが、こんなにすさまじい治療だとは夢にも思わなかったから、まだ何クールも残っていることを考えると、とてもできないという絶望感に本当にぶちあたりました。」

●祈るような気持ちで過ごす

「1週間、(抗がん剤の)休憩時間がありますよね。そのときだけは、なるべく治療のことは考えないのですが、明日もう治療に行く日だとわかると、それを考えるだけで吐き気がするのです。病院の前に着くともう病院の匂いだけで吐くとか、病棟に入るだけで吐くとか。今でもやはりそれはきます。あの匂いや音をなんとなく思い出すのですよね。もうそれは仕様がない、がんばるしかないと思いました。そこの場所に行くととにかく『いつ終わるかしら』と点滴を見ながら、もう何時間かがんばって、終わるのを祈るような気持ちで過ごしていました。」