がんと向き合う

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山内 梨香さん
山内 梨香さん ①
(やまうち・りか)
看護師
盛岡市在住。2005年末、32歳のときに乳がんと診断される。手術後、骨と肝臓に転移するも、抗がん剤、放射線治療、ホルモン療法を経て、順調に回復(その後の経過はこちらをご覧ください)。現在は仕事にも復帰し、看護師として患者さんの身体と心のケアにあたっている。2008年に自らの闘病体験をつづった『がけっぷちナース がんとともに生きる』が2009年3月に飛鳥新社より新装刊。ブログ:「生きてる喜び日記
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3術後の治療

「術後は順調に回復して2週間後に退院しました。家に帰ってからもリハビリを続けて、腕が完全に上がるようになりました。その後、取ったがん細胞の病理の結果が出たのがクリスマスイブの日で、退院してちょうど3週間した頃でした。

私はいちばんグレードの悪い、顔つきの悪いタイプのがん細胞で、おまけにリンパ節への転移もあったため、『あなたの場合は35歳以下だし、乳がんの治療ガイドラインのなかでは“中リスク”という抗がん剤を推奨されるところに入るので、抗がん剤をやったほうがいいでしょう』と主治医に言われました。手術、放射線、抗がん剤と3つの治療が全部セットになっているというのは自分が乳がんになってから知ったのですが、『放射線治療だけで済めばいいな・・・』と同じ時期に入院した人たちと話していて、『自分ももしかしたら放射線だけで済むかもしれない』と甘い考えでいたので、やはり抗がん剤をするというのはショックでした。

自分も看護師として、実際に抗がん剤を受けている患者さんの看護をしてきて、吐き気やだるさがものすごく辛そうなのを見ていたので、『自分の体もそうなってしまうのか・・・』という言いしれぬ怖さが襲ってきました。本当は『やりたくない』という気持ちがすごく強くありましたが、抗がん剤治療をして治るものだったら、もしここでしないことを選択して、あとで再発した時に『あの時やっていれば・・・』と悔やんでも自分としても納得がいかないだろうと思い、『やってみてだめだったら諦めがつくから、やろう』と決心して、することにしました。

お正月明けの2006年1月12日から始めることになり、その前は彼のいる秋田に行っていて、ギリギリまで逃げたくて『やっぱりやりたくない』と思っていたのですが、背中を皆に押してもらって『頑張ろう』ということで12日に帰って来て、1回目の抗がん剤を受けました。」

●教科書どおりの副作用

「当日は特に具合の悪いところはなく、ただ少し船酔いみたいな感じになり、『私はあまり副作用が出ない人なのかもしれない』と少し思いましたが、次の日の夕方からものすごい吐き気がきて、トイレとベッドを行ったり来たりする状態でした。母が心配して1週間ぐらいうちに来てくれていて、料理を作ってくれるのですが、どうしても匂いがだめでした。犬並みの嗅覚になってしまい、食べられないし、吐くし、めまいはするし、だるいし、血尿は出るし、と教科書に書いてあるとおりに副作用が出ました。やはり吐き気がいちばん辛かったです。何かこう余裕がなくなってしまい、他の人に対する思いやりがもてず、自分のことだけに集中してしまうのです。吐き気は今思っても『辛かったな・・・』と思います。

1週間ぐらい食べられず、私はもう治療が嫌になってしまい、先生に『もうやめたいです』と言ったところ、『まぁ、1回でやめる人はなかなかいないので、2回目からは入院したほうがいいかな。毎回お母さんに来てもらうのもたいへんだし、入院して抗がん剤をしているとなれば、ご家族も安心するのではないかな』ということで、2回目からは入院して抗がん剤をやらせていただきました。

2回目から6回目まで、3週間おきに1週間ほど入院させてもらいました。最初は薬を打った翌日から具合が悪くなっていたのですが、回を重ねるごとに具合が悪くなるのが早くなり、副作用もひどくなっていきました。3回目ぐらいからは打った当日の夕方からものすごい吐き気が出て、胃が上下して、胃が出てくるのではないかと思うくらい吐いたときもありました。あと匂いがだめで、配膳車が来ただけでもう『おぇーっ・・・』という感じになってしまうのです。冬でとても寒かったのですが、窓を全開にしたり、食事が来たときは洗濯場に逃げ込んで潜んでいたりとか、いろいろ工夫をしていました。1週間ほど経っても、ゼリーやアイスなど喉ごしのいいものしか受け付けられなかったので、体重も結構減りました。」

●女性として耐えがたいこと

「髪の毛も1回目のときはそうでもなかったのですが、3回目のあたりにはてっぺんが白くなってきてしまい、こんなに髪の毛が多いのに一気にザバっと全部抜けて、頭皮がつるっとなってしまいました。本当に別人のようになり、やはり女としては本当に耐えがたいものがあるな・・・と思いました。吐き気やだるさは、副作用に対するお薬がいっぱい出ているので対処のしようがあるのですが、『脱毛は防ぎようがない。抜けたらかつらを買ってもらうしかない』と先生や看護師さんがおっしゃるのです。

治療をしていて吐き気や体の具合が悪いのがいちばん辛いとは思うのですが、女性はやはりそれ以上に“見た目”ですね。髪の毛がなくなって、げっそり痩せてきてしまうのは、本当に健康的でない痩せ方だったので、普段は『ダイエット、ダイエット!』と言っていますが、あんな痩せ方だったらしないほうがいいな・・・と思います。頭が禿げて痩せてきてしまうと本当に情けない気持ちになるので、病気になっただけでも悲しくてやりきれないのに、さらに追い討ちをかけるような治療の副作用で、結構それで精神的に参ってしまったという感想です。

3月にはかつらを買ってそれで出歩くようになりました。自分の毛で歩けるというのはものすごく幸せなことなんだな・・とつるつるになってからわかりました。男の方達が育毛にお金をかけるのもわかるな・・・と思いました。」

●抗がん剤終了

「頑張って6回目の抗がん剤が終わり、退院した日は本当にはっきりと憶えていますが、ハイだったのです。それは4月30日で、大好きなお蕎麦屋さんに行きました。いつも退院した日はそこのお蕎麦屋さんのお蕎麦を食べるのが私の中の決まりになっていました。それで、ものを美味しく食べられるというのはすごく幸せなことなんだな・・・と思い、『生きているとはこういうことなんだ・・・』とその時に実感して、嬉しくてスキップしてしまったのを憶えています。」