がんと向き合う

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佐藤千津子 さん
(さとう・ちづこ)
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小腸がん体験者。1971年生まれ。盛岡で服飾の事業、家事、育児をこなすなか、2005年(34歳)に出張先で異様な血便を経験。地元で検査をするも何も見つからず、2007年に専用内視鏡で小腸(空腸)に腫瘍が見つかる。手術後、抗がん剤により延命中、滋賀で腹膜播種専門医の手術を受け、命をつないでもらう。人工肛門を2つ造設。ワクチン療法等を受け、現在も抗がん剤を服薬中。朝晩の瞑想を日課とする。ブログ:千の道
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9滋賀の病院を退院―2008年5月

「退院の決め手は、歩けるようになったということがいちばん大きな点で、食事もとれるようになり、1週間の人工肛門のパウチの交換もできるようになったということで、『ゴールデンウィークには帰りたい』という申し出を私がしたので、そこにあわせて退院の許可が出ました。」

Q.退院するときの体調はいかがでしたか?

「明らかに違いました。ご飯の味も変わっていました。足取りが軽くなったというか、全体的になんとなく健康になったような感じです。来るときは痛みが多かったので、退院するときは痛みがないだけ本当に楽というか、自分の中ではもう治った勢いですね。『痛みがない=私は治った』みたいな感じで。退院のときにやっと体重が31kgぐらいだったので、若干まだふらふら気味だったのですけど、やはり痛みがないというのが、来るときに比べたらすごくよかったです。

今でも覚えているのが、関西空港でホットケーキの何とかア・ラ・モードみたいなフルーツや生クリームが乗っかったようなのがどうしても食べたくて、食べました。あと、ちょっとくらい大阪を味わわせてほしいと思って、たこ焼きを2個ぐらい食べて帰ったという、そういう元気がもうその時点でありました。その味を今でもちゃんとしっかり覚えています。すごくおいしかったです。

だから外で食べたときにはじめて何か普通の人になったような感じで、皆が食べているものを食べたという感覚でした。」

●3ヵ月半ぶりの帰宅

「岩手の花巻空港の光が見えてきた時点でもう泣いていました。本当に入院生活は苦しかったのです。本当に苦しくて、しかもひとりだったので、知っている人がいるわけでもなく、岩手にいたときは、交互に夜におばあちゃんが来たり、主人が来たり、お友達が来てくれたりというのがあったのですけど、滋賀の病院にいたときはただ琵琶湖を眺めるだけで、泣き言を言う人もいないし、術後の経過もよくなかったのでその苦しさや不安もあり。

そういう中で帰り、自分のお家の感じが見えてきたときは本当に泣きました。主人も泣いていました。一緒に車に乗って、『もう帰れるよ。もうちょっとでお家だよ』と言って、お家に帰って玄関を開けたときに子供たちが『マーマー』と言って飛びついてきたときは、本当に嬉しかったですね。帰ってきたと思いました。命もそうだけれども、何か私はすごく強運の持ち主なのだろうなと思いながら子供を抱きました。そうではない人もいっぱいいるのを見てきて、同じ病室の入院患者さんが亡くなっていく姿とかいろいろ見てきたので、その中でまたお家に帰れた私はなんて運のいい人間なのだろうと思いました。」