統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「絵心(えごころ)と歌心(うたごころ)(後編)

音痴の不思議

歌の力は本当に素晴らしいが、学生時代の私には楽しいどころか悩みの種だった。

なぜなら、私はひどい音痴だからだ。私の声がいいと褒めてくださる方の中には「歌手になれば良かったのにね」と言う人がいるが、歌手は世の中で私の最も不適切な職業の一つである。

学校の音楽の歌のテストは、体育の時間に匹敵するほど嫌な時間だった。

ただでさえ人の評価が気になって仕方がない思春期に、クラス全員の前で歌を歌わねばならない屈辱感は、大げさに聞こえるかもしれないが死ぬまで記憶に残ると思う。

私の名前が呼ばれ前に出て先生のピアノの横に立つと、もうその時からクラスのあちこちから失笑が聞こえてきた。

メガネをかけた若い音楽の先生はキビキビとした人で、私の死にそうに青ざめた顔にも同情はしてくれなかった。時には、非情にも「声が小さいから、もう一度歌いなさい!」とまで言った。「音痴の気持ちなど、この先生には分からないんだ」と、何度恨めしく思ったことか。

私の声は独特の高い声で、いつも「ちびまるこ!」などとからかわれていたが、それに伴奏までつくので聞いているほうはおかしくて仕方ないのだろう。

ある男子生徒は、私が歌い出すと大げさに耳に指を突っ込んだ。でも、先生はその男子に注意をしてはくれなかった。

こんなことがあったので、私が純粋に歌を楽しめるようになったのは、音楽の授業を受けなくてもすむ大人になってからだった。

「音痴の原因は何だろう?」

学生の頃、私は真剣に考えた。

音痴は生まれつきだと思っていたが、そうでもないようだ。

音痴には、トレーニングによって改善することが可能な音痴と、どんなことをしても改善しない音痴があるそうだ。

右利きの人は左側の脳に言語機能を司る中枢があり、右側の脳には芸術などを司る中枢がある。その中に音楽中枢もあると考えられている。

音痴の原因は、音楽中枢の発育障害による機能不全で遺伝や環境が影響すると言われているが、医学的にはまだはっきり分かってはいないらしい。

池谷裕二さんのベストセラー『脳には妙なクセがある』(扶桑社)に、音痴についておもしろい記載がある。

「人口の4%は音痴であるが、音痴は感覚器の機能不全ではない。脳を調べても大脳皮質の聴覚野には異常はなく、音そのものは脳内で正常に処理されている。実際、音痴の人でも会話の語尾の音程(もう終わりました。と、もう終わりました?の違い)は、言い分けることができる。では、音痴の人は脳の何が違うのか?」

池谷さんは、ニュージーランド・オタワ大学のビルキー博士の論文を引用している。

「音痴は、頭頂葉での空間処理能力が違うのではないか。音痴の人は立体模型のメンタル回転というテスト結果が明らかに悪い。音程とは、立体感覚の神経機構を利用しているのかもしれない」とビルキー博士は述べている。

メンタル回転テスト(心的回転テスト)とは、一つの形を見て、その形を「頭の中でイメージして」さらに「回転できるか」を調べるテストで、頭の中で形をイメージできなければ回転しようにも回転できないのだという。

メンタル回転というテストはまだ受けたことはないが、私の場合、いかにも結果が悪そうな気がする。

テストの説明を読んだだけで、私は頭が痛くなってきた。小学生の頃、先生と対面して先生の動作をまねる授業が私にはどうしてもできなかった。左右逆になっただけで、私の頭は混乱した。

音程感覚と空間把握能力にどんな関係があるかは、まだ不明だそうだが、もともと音は空間として表現されるものとの指摘がある。「五線譜では、上の方に音符があるほど高音であり、鍵盤は右に行くほど高音である。メロディーの音程構造は立体図形と同じ脳回路で処理されているかもしれない」(ビルキー博士)

科学者の言葉は、やはり説得力がある。ちなみにビルキー博士の研究では、音痴であると判定された人の半数以上は女性だったそうだ。女性は男性よりも空間把握能力が弱いのは、よく知られている。建築家の大半は、男性である。

こんな所に、音痴の根源があるという説を聞いて、それなら運動が苦手で不器用な私が音痴なのは道理だと、脳科学的に納得できた。