統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「笑いの影に努力あり(前編)

「人生は、玉入れ」

私や中村ユキさんと同じような、精神疾患の親を持つ子どもたちへ向けて描かれた絵本が最近出版された。『お母さん、お父さんどうしたのかな? 〈こころの病気を抱える親をもつ子ども〉のハンドブック』である。
 (注: 東京大学出版トゥッティ ソランタウス (著)、アントニア リングボム (イラスト)、上野 里絵 (翻訳) )
 http://www.utp.or.jp/topics/files/2016/solantaus.pdf

同じような趣旨の絵本を他にも見たことがあるが、表紙の哀しく暗い主人公の面差しがあまりに辛く、私は読むことができなかった。

他の人には抒情的な美しい絵に写るかもしれないが、主人公と同じ目をしていたのであろう幼い自分が目の前にいるようで怖かった。私は子ども時代の記憶にいつもビクビクしているんだと、その本を見た時に実感した。

ところが、このトゥッティの絵本はまったく違っていた。

まず表紙からして、楽しい。クリスマスのプレゼントかと思うようなカラフルな色彩に、一家の「困った感」が表紙の中でユーモラスに踊っている。

親に振り回される散々な日常や、布団をかぶったまま起きてこない親の傍で寂しそうにしている子どもの姿のリアルさはよく伝わってくるのだが、なんとなくクスッと笑ってしまう「救い」がこの本にはあった。

この笑い……、そうだ!ユキさんのマンガに見た笑いと同じだ!と気付いた時から、私はトゥッティの本が大好きになった。「哀しいことを哀しく描くよりも、そうした中にまで『笑い』を描くことのほうがよほど難しくて、凄いことなんだ!」心から、そう思った。

私は、やっとビクビクせずに読める本に出会った。

そして……本の最後のページには、こう綴ってあった。

「お母さん、お父さんとどんなふうに話し始めるか・・・会話は、ちょっとした言葉から始まります。そして話し合いは一度で終わることはなく、小さな問題や大きな問題を交えながら少しずつ進んでいくものです。それは、糸にビーズを通すようなもの。もし失敗しても、次のチャンスがあります。ビーズが一つ落ちてしまったら、別のビーズを手にすれば良いのです。人生のバスケットには、たくさんのビーズがあり、たとえ暗い色のビーズでも美しいのですから」

この文を読んで、あるお笑い芸人が話していたことを思い出した。

もう初老に近いその芸人さんは、若い頃、相当な苦労をした遅咲きの人である。

彼は言った。

「人生はな、運動会の玉入れみたいなもんや。あの世へ行く最後の時に、自分の玉入れからひと〜つ、ふた〜つ、と数えながら玉を放り投げていくんや。2,3個しか入ってなかったら、すぐに終わってしまうやんか。そりゃあ寂しいわ。なかなか数えられへんくらい、ぎょうさん玉が入っとる方が楽しいぞ」

人生の達人は、同じことを言うものだと思った。

最後の日に玉入れの玉を数える時、数個だけ入っているほうが「シンプルで良い人生だった」と思う人もいるだろう。私の玉入れには、今、考えただけでも赤や白、もしかしたら緑や黒い玉まで入っていそうだけれど、「盛りだくさんの、いい人生だった」と思えるような気がしてきた。

泣いたり悲しんだり恨んだり怒ったりもあり!の人生でいいんだね……と、今は自分に語りかけている。

「笑い」には、トラウマを癒す力がある。