統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「笑いの影に努力あり(後編)

ホスピスで聞いたダジャレ

皆さんは、ホスピスをご存知だろうか。

がんなどの病気で余命が迫った人の身体的ならびに感情的な苦しみを緩和する目的で造られた療養所や病院のことである。ホスピスではcureではなくcareが大切にされる。

私は医師になってしばらくして、日本で2番目にホスピスを開いた柏木哲夫先生の病棟回診を、3年間見学させていただいた。

私は柏木先生とは出身大学も違い、面識も何もなかった。そんな私が、柏木先生の回診をなぜ3年間も見学ができたのか?

きっかけは、手紙だった。

もともと私は、「死にゆく人の心理過程」の研究をするように教授に指示され、地元のホスピスに通っていたが、末期の方々にどう話しかけていいかまったく分からず呆然としていた。そんな私に、患者さんのほうから声をかけてくれた。私はとても嬉しかった。そして、精神科医でホスピスを運営している人がいると知り、その方のお話を聞きたいと思って柏木先生に手紙を出したのだ。

先生は温かい返事をくださり、突然連絡してきた私を迎え入れて回診につかせてくださった。浜松から大阪まで通った当時のことは、緊張と必死さのあまりよく憶えていないけれど、回診で聞いた先生の言葉を書き留めた分厚いメモ帳が何冊も手元にあり、大切にしている。

本当にたくさんのことをホスピスから教わった。返事をくださった柏木先生や、ホスピスの患者さん・ご家族に感謝の気持ちで一杯である。

いくつもの貴重な思い出があるのだが、今日は「笑い」についての思い出を述べてみたい。

柏木先生はホスピスでの回診中、いつもダジャレを言っては周囲を笑わせていらした。患者さんは皆、余命数か月の方ばかりである。診察は、酷い腹水やゾウの足のようにむくんだ下肢のケアなど、治すのではなく少しでも苦痛を和らげようとするものだった。中には「私の命は、あとどれくらいもつか?」と尋ねる方もいた。

そんな緊迫した重苦しい空気の中で、柏木先生の少々寒い(失礼!)ダジャレが飛ぶと、患者も家族も看護師も顔が緩んだ。

顔が緩むと心も緩む。それを十分知っておられた柏木先生の回診だった。

ところで……、柏木先生は、このダジャレを言うために舞台裏で大変な努力をされていた。

回診の合間の休憩時間、先生はダジャレをせっせと考え、「これは!」と思ったものをネタ帳に書き留めておられた。時には横にいる私に「このダジャレ、面白い?」と聞いてこられた。はっきり言って「寒いダジャレ」なのだが、先生が一生懸命作っていたので「はい!面白いです」と言ってあげた。

先生はとても嬉しそうな顔になり、午後の回診で早速そのダジャレを披露する。

少々寒いのも、ご愛嬌だった。

その中の一つ……、当時、テレビでカレーライスのコマーシャルが流行っていた。「あなた、作る人。私、食べる人」というコマーシャルをもじって、柏木先生は「あなた、死ぬ人。私、生きる人、ではなくて、私もいつか死ぬ人です」と言っておられた。生き死にさえカレーライスにたとえられるんだと、私は妙に感心したものだ。

数年前、全国精神保健福祉会連合会「みんなねっと」の全国大会でお話をさせていただいたことがある。その時の講演タイトル「あなた病気の人、私治す人、ではなくて、私も家族の一人です」は、完全に柏木先生の文言を拝借したものである。

看護学生に「私はユーモアのセンスがないので、ユーモアのセンスのある人から拝借しています」とお答えしたが、毎日の診療にまでは工夫が及ばなかったことを反省している。

深刻な内容の話の中にこそ笑いが必要なんだと、ユキさんや柏木先生は教えてくれた。

ちなみにユキさんのマンガには、お母さんの精神症状が悪化して友達とも遊べなかった時、友達に遊べない理由を聞かれて「今日は家で『祭り』があるんだ」と答えていたそうだ。精神症状の悪化を「祭り」と表現していたと聞いて、私は腰を抜かしそうになった。

看護学生の質問に立ち往生した程度の私の石頭では、とてもユキさんのような難易度の高い「笑い」は出てきそうにない。センスのある人はいいなぁと羨ましくなった。ユキさんも柏木先生も大阪の人なので、関西人は遺伝子的にユーモアのセンスが備わっているのだろうと思っていたが、柏木先生の影の努力を思い出し「笑いの影に努力あり」と納得した。

柏木先生のユーモアを聞きたい方は「ベッドサイドのユーモア学―命を癒すもうひとつのクスリ」 (Hon deナースビーンズ・シリーズ)を、ご覧ください。

「笑いへの努力」をしている方は、実は案外多いのかもしれない。

認知症を専門にされているある医師は、ある講演で「長生きと認知症はセット販売です。ばら売りはいたしません」など、聞き手を笑いで引き込みながら認知症について分かりやすく解説されている。ユーモアのセンスのある人なんだろうなぁ、と羨望の眼差しで見ていたが、ある時ご一緒に食事をいただく機会があった。

お話してみると、非の打ちどころのないジェントルマンで堅物で冗談などとても言えない雰囲気の方だった。

あまりにイメージが違うため「先生は、どうしてあんな面白い話ができるのか」と臆面もなく聞いてしまった。先生はニコリともしない真面目なお顔で「落語を聞きに通っているんです。この間(ま)でこの話をこう入れると、人は笑うのか……、研究しました」とおっしゃる。

私は、脱帽した。人は、努力すればセンスさえどうにかなるのかも……。

それからは、なるべく面白そうな人の話はよく聞いて「勉強」することにしている。そして、面白い話を拝借するのも努力の一つと割り切ることにした。

日本人はユーモアが苦手とよく言われるが、親が精神疾患、末期の病気、老いという生老病死の中にも「笑い」を見つけるこの方々に、心から敬意を示したい。

余談だが、柏木先生は周囲に笑いを振りまく一方で、職員がホスピス病棟の廊下をせわしなく小走りに移動すると厳しく叱った。

「ここにおられる方の時間は、私たちの時間とは違うのですよ。一分一秒でも無駄にできません。騒がしい物音に煩わされないで過ごしていただくように努力しなくてはね」。普段は優しい先生が、この時ばかりは厳しいお顔になった。

これが、ホスピス・スピリット(おもてなしの心)なんだと思う。笑いも、おもてなしですね。

皆さんも、「笑い」をおもてなしに加えませんか?少しの努力と共に……。