統合失調症と向き合う

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野村忠良さん
野村 忠良さん
(のむら・ただよし)
1943年(昭和18年)生まれの66歳。「家族会 東京つくし会」の理事として活躍。母親が統合失調症となり、少年期から苦悩の日々を送ってきた。30歳のときに父親と一緒に家族会に入り、それ以降、30数年にわたり家族会の活動に真摯に取り組んできた。現在も精神科医療の社会的な位置づけ、支援の広がりを目指す活動を行っている。
家族構成:父、母(病気体験者)、姉2人、妹1人
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9家族会運営の作業所
●開設の経緯

「家族は、自分の子どもが家にいるだけなんですよ。病院に行ったあとはね、行くところどこもないんだものね。で重いのね、病気がね。薬の使い方もお医者さんうまくないでしょう?だからよだれが垂れたりね、見るからに精神病の患者さんていう(ように)なってしまう、姿がね。で、コーヒーがだぁっと垂れていたりね。そういうお子さんを家に抱えて、お母さんお父さん達、もうお父さん絶望しっちゃったり、お母さんおろおろしてね。

私たちの場合、家族会は、最初に学校の養護教員の方がつくったんですね、地域のね。養護教員の方はご自分のちょっと離れたところの身内の方が病気だったんですね。だから自分自身は普通にいい生活をしているわけですよ。で、その方が、これはなんとかしなきゃというので家族会をつくられたのね。それの呼びかけに応えて、保健所さんも一緒になって手伝ってくれて、それで家族会ができたんですね。だから最初は、そんな作業所なんてだいそれたことを考えていなくて、愚痴の言い合いとか情報をいただくために来るとかね、そんなもんですよね。あるいは、たまにお医者さんを呼んで勉強会をやる。ところが、あるとき東京都内で作業所ができはじめたんですね。精神障害の方が知的障害の方と一緒の作業所に行けるようになったんですね。あさやけ作業所。そういうのができ始めて、1、2年経ってからかな、うちのその当時の会長、実質的な会長ですね、うちでもつくらなきゃいかん(と)。なぜならば、そのおばあさんは、自分のお嬢さんが入院していて、長いこと精神科の病院に入院しっぱなしなんですね。で、ご自分は(家では)抱えていないから、割とお元気でいらしたんだけど、なんとか作業所をつくりましょうと。そのおばあさんは、自分で憩いの部屋みたいものをつくったのね。自分の家のお部屋を開放して。独り暮らしなんですけどね、『よかったらここに遊びにいらっしゃい』と患者さんの家族、患者さんたちみんなに言ってくれて。で2,3人が遊びにくるようになって。そこでコーヒーを飲んだり無駄話したりしている。そういうのを個人のお部屋でやるにはちょっと限界があり、作業所ができたという話を聞いたから、この地域でもつくりましょうよという話になってね、それでみんながお金を出し合いましょうっていう話が盛り上がって、それでできましたね。そのおばあさんが火付け役ね。でそのおばあさんのお嬢さんが、姉妹の立場の方よね、お姉さん入院中ですからね、所長さんになって、保健所の保健師さんがボランティアで職員、スタッフの代わりをやってくれましてね、交替でね。1人だけ職員を安いお金で雇って始まりましたんですよ。で、最初は、その所長さんなども無給ですよね。ボランティアでね。で、僕もかり出されて一緒にやったのね。それが始まりですよ。

(子ども達)他にいてもらう場所がないじゃない? グループホームも何もないんだもの。入院させちゃ可哀想だしね、お金はかかるでしょ入院費がね。だからやっぱりしかたがないわということでしょうねえ。不自然ですよねえ、20歳過ぎても親元にずっといてね、やることなくて、親に甘えて。甘えられる親はたまったものじゃない。だからやっぱりきちんと切り離して、昼間だけでも行っていただけると親も少しはほっと楽にできるというかな。でも親も有志の方は一緒になってローテーションを組んで(作業所に)関わったんですね、保健師さんと一緒にね。」

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