統合失調症と向き合う

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野村忠良さん
野村 忠良さん
(のむら・ただよし)
1943年(昭和18年)生まれの66歳。「家族会 東京つくし会」の理事として活躍。母親が統合失調症となり、少年期から苦悩の日々を送ってきた。30歳のときに父親と一緒に家族会に入り、それ以降、30数年にわたり家族会の活動に真摯に取り組んできた。現在も精神科医療の社会的な位置づけ、支援の広がりを目指す活動を行っている。
家族構成:父、母(病気体験者)、姉2人、妹1人
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10医療、福祉に望むこと
●現在の社会状況

「医療制度と医療体制、あと福祉の制度とか体制の問題ですけども。今は、それぞれがそれぞれに自由に生きていられる時代という意味ではね、日本は非常に良い時代だと思うんですが、自由ということがどういう意味の自由なんでしょうか、ということなんですね。それからプライバシーね。そうっとして置いてください、やたらに介入しないでくださいと、とっても良いことだと思うんですね。で隣で何をしているか分からない、つながりがない、ある意味では良いことですよね。自由に暮らせる。

しかし絆というか、あまりにも社会の絆がなくてですね、1人1人がまったく無関係に生きている状況の中で、医療制度と福祉制度があるわけですよね。それが機能しなくなっているんですね。と言うのは、受け皿が家族というものにいっているからなんですね。あるいは生活保護とか。家族と生活保護が最終的に支えているんですね。生活保護は、場合によっては支えることができない状況もあるんですよ。家族も場合によってどころではなくて、僕はねほんとうは支えきれないんだと思うんですね、家族は。社会からあるいは医療制度、法律から期待されているほど、家族には力はありませんよ。そんな力とか経験能力の何もない家族の横でいきなり同じ家族の誰かが発病してね、それを全部任されてしまう訳ですね。病院に連れて行くことからお世話から、毎日の対応ね、接し方まで全部、家族はなんにも知らない、予備知識なくていきなり任される訳ね、病人が出ると。それはちょっと無理だと思うんですねぇ。だから家族がちゃんと受け答えのしかたとか病気の意味とか治し方とか、そういう情報を前もってやっぱり与えてほしかったですよね。」

●地域での啓発

「(病気に関する)啓発を大いに行き渡らせて、精神の病気になるとこういうことになるんですよ、放置するとこういう弊害が発生して家族はたいへんなことになるんですよ、と。それから家族が同居する場合にはこういう注意が必要です、1人で暮らす場合にはこういう体制、制度が整っているからこういうところに助けを求められますということを、住民全部にやっぱり周知徹底したいと思うんですよ。してほしいね。それは家族会もやらなければいけないんですけどね。そうしないと、いきなり何にも知らないところに病気が発生した場合、本人はもちろん周りも大慌てですね。そして隠そうとする。この病気は、差別偏見の対象に非常に強くなっていますから、なるべく知られたくないから隠そうとするんですよ。隠した場合には、悲惨な状況になっていくんですね、それぞれが。周りもあるいは近隣住民もね。で、結局は、警察官が来て強制入院[*1]になったりするでしょ。そのときには病気がかなり進行していて、ね。

今まではみんな何にも知らないでいるから、何事が起きたんだろう、怠けているだけではないか、なんであんな乱暴な言動をいきなりするようになったんだろうと。でみんなから嫌われて、避けられて。その病気の症状が出ている状況がその人本人だと思われて、当事者が全部いなくなる。職場も失う。すべて失っていくのね。離婚になる、子どもとも会わせてもらえない状況が発生するとかね。だからそういう悲劇になる前に、発症したらすぐに対応して手当をするような地域、すべての地域における医療体制と福祉の体制を整えてね。で、職場は辞めざるを得ない、あるいは休まざるを得ないときには、生活費もちゃんと支給されて安心して治療を受けてまた元に回復するような手立てがすぐに講じられて。症状がまだそれほど進まないうちに回復するということは大事だと思うんですね。重症化してしまう問題を私たち家族は嫌と言うほど味わっているから、そうならないでほしい。そのことを強く強く感じますよ。」

[注]
*1:警察官からの通報などを受けた都道府県は、必要があれば患者さんに処置診察を受けさせ、その結果処置入院になることがあります。

●訪問によるフォロー

「それには訪問ということがとっても大事で、本人がくるのを待っているという体制が今、ほとんどですよね。というのは本人のプライバシーがあるから、要請がなければ、勝手に訪問できない。それから訪問するときにはほんとに気をつけなけきゃいけませんよね。いかにも保健師が訪ねたなんていうと、『あそこの人何かあったんだろうか』と近所で見られるから、精神障害あるいは精神疾患になった人がいるということが近所に知られないような形での訪問ね、こっそりと。そこを何か法律で、さりげなく訪問することあり、してよろしいというような情報が入ったら、あるいは近隣住民から訴えがあった場合には、被害を受けないように調整するような機能が地域に必要なんですよね。

情報が1本でも入ったらすぐにかけつけて、地域の住民と本人あるいは家族の両方が無事に生きていけるような対応がすぐになされるような訪問。それは、束縛とかあるいは強制的なものがあまりにも強いとみんな警戒して反対されるでしょうから、非常に緩やかな、暖かい好意に満ちた、しかも対応が非常に上手なスタッフが対応してくれないと最初から断られますからね。上手に敷居の低い気軽に相談できるような、対応の取れるスタッフが訪問してくれて、あるいは電話をかけるなりしてね。見守りって大事だと思うんですよ。で『これは危ない、このままにしておくと本人にとって重大な損失が発生する』と分かったときには、かなり思い切って家族を説得し本人を説得して治療ができるようにし向けていかなければいけない。今のように、良く言えば本人の自由、権利ね、治療を受けない権利、悪く言えば放置。家族に全部任せて放置しておく。これは家族がとても耐えられないことなんですね、ほんと言うと。」

●信頼される窓口の設置

「今、なぜ家族が訴えないかというとね、訴えたってどうせやれることはないよ、行政には、というあきらめがあるのね。噂もいろいろ聞いているしね。助かった例もあんまり聞かないし、訴えたってどうせたいしたことないわよ、だから言ってもだめよというので最後の最後に家族会に相談にいらっしゃるのね。だから家族が訴えないのにはそれなりの訳があるんですよ。ちゃんと対応してもらえないだろうなっていう。もしかすると思い込みですけど、もしかすると当たっていたりしてね。だから、あそこは安心だよ、行けばすぐに対応してくれてとっても良い結果が出るよっていうような窓口、家族から信頼される窓口を地域にたくさんつくってもらいたい。

そういう意味では、非常に福祉と医療というものが密接に、あるいは地域の住民の支援というものが密接に混ざり合っていて、ある窓口に行くと、それがことさら精神科、今までの保健所の窓口みたいな堅苦しいものじゃなくてね、なんでも相談ができて、場合によっては精神疾患が疑われれば、どこそこのセンターに行くとこんな支援、場所があるから行ってごらんなさいといって、で行くと、そこに看護師さんとかお医者さんがいてね、ちょっと治療を受けた方がいいですよという話になる。というような1段2段構えの、気楽に相談を受けられるような病院、本体は病院だとしても出先機関が地域の市民の相談窓口とあんまり目立たない形で連携していてね、で精神科にかかっているなどというレッテルを貼られないような工夫がやっぱり必要だと思うんですよね。」

●健康な心を尊重する

「僕は、家族会で経営している作業所に勤務していた経験がありますし、今でも家族会で相談を受けている、あるいは憩いの部屋で引きこもりの人たちと話し合いをよくやるんですけど、その方達、統合失調症であろうが神経症であろうが、みなさま健康な心をたくさんもっていらっしゃるんです。心の奥底にね。でも社会につながれないから、それが発揮できないから隠れていて、薬の副作用でぼーっとしていたり、それから自信がなかったり、人から見られているのが怖い思いね、それから社会からの偏見差別をもろに感じていて、もう自分は社会には到底つながれないとあきらめたりしていることがあるんですね、上辺に。だから、そのおかしな上辺にできあがってしまっているものを、やっぱり1つ1つ丁寧に点検して、改善できるものはお医者さんも一緒に改善すべきなんですね。社会とのつながりの状況、これはお医者さんではなく、福祉の側からかもしれない、心理職かもしれないけど、そういう1つ1つのところを丁寧に修復していって、奥底に眠っているマグマのような健康に生きていたいんだっていうような健康な感受性を。その感受性はいろんなことがよく分かるのね。この人が人を助けたいと思っているあの気持ちは本物だとかね、この人が私達にやってくれていることはうそだと、自分の生活を支えるためだけにやっているんだと、私らのことは2の次3の次にしか考えていない人というのはとても敏感に見るんですよね。面白い。それから作業所で行われていることの本質もずばり見抜くのね。『作業所ってこういう意味なんじゃない?』って。つまり社会に入って行けない人を邪魔になるからまとめておいといて、安いお金で働けるよう社会で私のような落ちこぼれの人をせめて職員にしてね、面倒をみさせているだけなんじゃない?とかね。心から精神の病気の方を支援したい人、優秀な人たちいますけど、それは少ないですよね。だから当事者はそういうのよく知っていますよ。ちゃんと分かっている。医療についても福祉についてもね。そういう人たちの本当の意見をね、感受性から出た意見に基づいて福祉を改革しなければいけない、医療はね。それをぜんぶ蓋をしてね、作業所の利用者、あるいは患者さん、あるいは精神障害者ということで、どうにも使い物にならんのだというふうにね、閉じこめているような気がしますよね。見えないバリアでね。本当は活き活きした気持ちを押し殺して生きているんだと。で改革しなければいけない気持ちをいっぱい感じているけど、社会にそれを出す場がないんだと、伝える場がないんだと。

それから人に対する反感、怒りとかを全部きれいにきれいにきれいにぬぐい去られて、ほんとうにその人は自己肯定できてね、社会とのつながりを真剣にまともに求めることができて一生懸命やったことの努力が報われて、その人に社会の居場所がつくられて、わずかでもいいから役割とか責任が与えられてね、こなしていけて、生活のできるお金をいただけて、希望すれば家庭ももててというような、前途に希望がもててね、そういう居場所を、やっぱり準備すべきでしょう。」

●当事者が生きやすい社会を

「この社会で差別されていること、いっぱいありますよ。働くところは作業所しかない。その作業所すらも満杯で、行くところもない。カウンセリングを受けたいけれど、1回受けると5千円とか1万円取られるから無理だと。で、病院に行ったら、何か訴えると、薬を増やすと言われるから言わない。『はい、元気でやっています、変わりありません』と3分で帰っている。これじゃあ彼らが回復する手立てが何にもないじゃありませんか。

そういう意味でやっぱり精神療法とか、彼らの本当の健康な部分を表に導き出していくような関わり方、心理社会的な支援が絶対必要ですよね。それは彼らの本音を私たちが聞かせてもらって、それを社会の仕組みの中に取り込んでいって、彼らが生きやすい社会にしていく、ということをやらなければいけない。なぜならば彼らが助かるのは当然、周りにいる家族も助かるし、もしそういう態度が社会に定着していけばね、これは一般の国民が生きていく場合にも、国民がほんとうに困っている自分の奥底の問題を社会に提起してそれが社会の制度の中に取り入れられていくということになれば、自殺も減るだろうし、うつ病も減っていくかもしれない。あるいは1人1人がもっと希望に満ちた人生に変えていけるかもしれない。カウンセリングが自分で払えるお金で受けられるようになればね。もしくは無料とかになってくればね。

僕は、地域の出発点の第一歩が、ここにあると思うんです。だからこれはぜひ地域にね、国民全部を対象にして整えなければいけない。今、私が撮影していただいているけれども、こういったことを大いにこれから進めて、誰が家族になってもね、私のような苦しみはあまりしないで、もっともっと建設的なことにエネルギーを使えるような市民になっていっていただけたら有り難いなと思うので協力しているということですね。」

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