統合失調症と向き合う

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井村克子さん
井村克子さん
(いむら かつこ)
昭和20年生まれの満71歳(収録時)。息子さん(46歳)が当事者で、高校2年生時に発症。元々てんかんがあり最初の受診から約10年間は「てんかん性精神病」、平成13年に「統合失調症」と診断される。専門学校卒業後、就職するが退職。母親である井村さんは会社勤めをしていたが、自身の体調不良により退職し、その後は家族としての経験を生かし、同じような家族へのこころのボランティア活動を行っている。娘さんもいるが独立している。
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2入院とその後について
Q.入院とその後の状況は?

「状態がちょっと鬱(うつ)的になっていて。『また、家から出ていった場合、本当に危ないですから、連れて来てください』と言われたのです。で、入院になりまして、その後、大変なことをやったんです。幻覚・幻聴ですか、すごくひどくて、病院を抜け出して、会社の従業員の5階の寮から飛び降りたんです。『どうしてそんなことしたの?』と言ったら、『追っかけられるし逃げ場がなくて、ほんで飛んだんや』と。すぐに病院に運ばれ、背骨の圧迫骨折と両足のかかとの複雑骨折で、『一生車椅子の生活と思ってください。生きとるのが不思議です』と病院の先生が言われまして。それから6か月、本当に大変でした。

(息子が)発病して5年後、平成6年、今度は私が、寝られない(など)いろいろありまして、胃がんになり、胃全摘手術に至ったのです。その時も、調子が悪くて(息子を)病院のほうに預けてありました。その時の主治医の先生は、ちゃんとお母さんの状態を(息子さんに)話してください、あとは私達が責任を持ちますと言われたから、全て話をしまして……。

私の手術、ちょっと長くかかって、退院して来て、息子も外泊で帰って来て。今度はですね、『お母さんはがんやで、死んでしまう、僕は一人で生きていけない』と言って、今度は、病院のナースステーションの前で服に火をつけた。(衣服が)ナイロンですから燃えたらしいのです。腰から肩にかけて、やけどを負って、また別の病院で5か月入院し、『付き添ってください』と言われ、病院から作業所の往復でした。

家出も、バスの時間を見てくるとか、電車の時間を見てくると、自転車で駅(に)来てそのままいなくなったのです。それがひょこっと帰ってきたり。(どこへ行ってきたか)言わないのですよ。捜索願を出したり、本当に生きた心地しません。」

Q.父親としてご主人の様子は?

「無理もないと思うのです。男の子が生まれて、男親としてそれなりに期待もあったと思うのです。この病気に関しては理解がなかったのです、『私の育て方が悪い』とすごく叱られたりとか、(息子が)薬を飲むとだるいのとボーッとするのとで、ソファに横になったりするのです。すると『またゴロゴロしとる』とか。これは仕方ないといくら説明しても聞き入れてもらえなくて、もう本当に夫婦仲も悪くなります。

私は、やはり末っ子でもあるし、なんとなく小さい時から弱かったものですからついつい抱えるというか過保護というかそんなふうにしてしまいますので。

その頃は本当に知識もなかったものですから、とにかく落ち着いてほしい、なんとか良くならないかとそのことばかしだったのです。主人がそんなですから、本当にどうしたらいいかと思いまして、ケンカばかりし。(それを)息子は見ていますので、診察に病院へ行った時に、いろいろ話をしたと思う。そしたら、『こういった福祉施設があるから、そこへ入ったらどう?』と先生に勧められて、援護寮(えんごりょう)、訓練する所へ入ったのです。親から離れて、寂しさと、いろいろあったと思うのですよね。その間、本当に小刻みに入退院でした。」

援護寮(精神障害者生活訓練施設):精神障害者のため家庭において日常生活を営むのに支障がある精神障害者が日常生活に適応することができるように、低額な料金で、居室その他の設備を利用させ、必要な訓練及び指導を行なうことにより、その者の社会復帰の促進を図る施設。
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