統合失調症と向き合う

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井村克子さん
井村克子さん
(いむら かつこ)
昭和20年生まれの満71歳(収録時)。息子さん(46歳)が当事者で、高校2年生時に発症。元々てんかんがあり最初の受診から約10年間は「てんかん性精神病」、平成13年に「統合失調症」と診断される。専門学校卒業後、就職するが退職。母親である井村さんは会社勤めをしていたが、自身の体調不良により退職し、その後は家族としての経験を生かし、同じような家族へのこころのボランティア活動を行っている。娘さんもいるが独立している。
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5自宅に戻ってから
Q.入院している今の息子さんの状況は?

「入った(入院)時が、警察の方に来てもらったりとか、連れてってもらったのは保健所の職員さんとかで、(息子は)私が入院させたと思っているのですよね。

今の病院は3か月に1回カンファレンスがあるんです。で、その時に、担当の看護師さん、ワーカーさん、主治医の先生はもちろんのこと保健所の職員さんも入ってもらって話し合いするのです。本人も入れてくれるのですが、すごくきつい顔で。衣類なども、3月ですから夏のものを持っていったら、『何しに来たんや、帰れ!』とか『ここへ来んでもええ』とか。今、そんな状態で……。」

Q.身の危険を感じたことがあるということですが具体的に教えてください

「暴力は、包丁を振り回したりとか、とにかく私にばかしなんですよ。(家が)百姓ですので、鍬(クワ)とか鎌(カマ)とかありますよね。鍬(クワ)を振り上げて『私を殺したる』と言って、その時は私、もうダメかと思ったのです。幸いにも、娘と主人が帰って来てパッと取り上げてくれてうしろから、もうすぐに措置入院しました。

作業所から帰って来て、(理由が)あったのですよね、聞いてみると、作業所の中で。いちばん息子の言ってほしくない言葉、『てんかん』という言葉は言ってほしくないのですよ。それを作業が終わったあと、みんなの前で言われたと。帰ってきて、ちょっとおかしいかなと思ったのです。

夕飯の用意をしていたら、『ちょっと来い』と。『何?』と言ったら、いきなり服の袖を引っ張られて振り回されたのです。それで建具でバーンとこんなふうに打って、見とる間に腫れてきました。顔が腫れてきたものですから、(息子が)農業の道具が置いてある小屋へ行って、化学肥料を持って来て、『そんなの飲んでも死ねへんよ』と私言ったのですけど、パッと飲んで、『僕もう死ぬ』と言って。『これは、僕が暴力を振るったんやで、入院する』と言って、夜やったんですけども。『お母さんすぐに良くなるので、そんなに気にせんでも、入院したなかったらせんでもええよ』と言うと、自分で病院に電話して。『すぐに来て』と先生が言うたから、連れていって、胃を洗浄して。ほんとにいろんなことが、この30年来ありました。」

Q.息子さんの病気が悪化しないように工夫していることは?

「私は、興奮させないというのがいちばん大事かなと思うもので、それなりに悪くなってきた時は、『ふんふん』と、ただ聞くのみにしているのです。」

Q.今後、息子さんとの同居は?

「そうですね、離れとるお姉ちゃんはですね、またグループホームなんかへ入れたらいいなと言っているのですけど、私は内心、母屋のほうで息子が生活できればいいんやないかなと、今、複雑な気持ちなのです。」

Q.地域の方との関係は?

「家が百姓ですので、(地域での)いろんな用事とかがあるのです。出て行くと、『ちゃんとした息子がおるのに、お前は出て来んでええ』と言われたのです。だから私は自治会の皆さんの前で、『うちの息子はこんな病気です』と言いました。それから、(皆さんが)息子を見る目が変わってきましたし、言葉もちゃんとかけてやってくれます。地域の人が用事に来ても、『今日は暑いなぁ』と言葉をかけてくださるようになりました。

勇気は要ります。(言って)良かったですね。私も、いろいろなことをしていますので、ポスターを持っていったり、『こんなんやってます』と自治会長さんとかに言いに行ったりするので、快く協力してくれます。」

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