統合失調症と向き合う

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河野孝徳さん
河野孝徳さん
(かわの たかのり)
1974年(昭和49年)生まれ、37歳(収録時)。18歳頃から不調を感じており、22歳の時(大学生)に受診する。大学校(農業従事者を育成する)卒業後は実家に戻り、実家の農業に従事する。現在は、体調を見ながら実家の農業を手伝うとともに地域活動に参加している。両親、祖母との4人暮らし。
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5病気を受け入れる
Q.病気を受け入れられるようになったのはいつ頃ですか

「30(歳)を超えた時ぐらいからですね、自分を受け入れるような姿勢が見られてきたような気がします。

(それまでは)誰のせいの病気でもないじゃないですか。親のせいでもなく、他の人のせいでもなく、自分のせいでもなく…。若かったので、ぶつけるところがなかったものですから、物にあたったり人にあたったり、暴力的な日々が続いたこともありました。

躁状態になったりすることもありましたので、めちゃくちゃな時もありました。うつになると、もう寝てばっかり…。そんな状態が続いたこともありました。」

Q.病気に関する情報はありましたか

「まだ、私が病院に通いはじめた頃は、通っていた病院にケースワーカーが1人ぐらいしかいなくて、情報を得ることはあんまりなかったと思います。」

Q.病気を受け入れられるようになったきっかけは?

「まずは、最初自分で穏やかになろうと思って、そして、人生、生きているうちに生まれ変わりたくなりました。思考を変化させてみたり、試行錯誤でした。四苦八苦していたような気がします。

生まれ変わろうと思っていろいろやってはみたものの、人間て生まれ変われないんですよね、生きていてもですね。自分はそう思うんですけれども…。人生というのは過去も現在も未来もつながっていて、その人の人生なんですよね、たぶん、自分の中ではですね。だから、ちょっといろんな面で変わることはできても、生まれ変わるということ自体はできないと思いました。だから、『今を生きよう』と思いました。」

Q.今を生きるために行動したことはありますか

「4年前でしたかね、入院中に、ピアカウンセリングと出会いまして。東京から当事者の方が来られたんですよね。

ピアカウンセリングセミナーを『(地域活動支援センター)すみよし』主催であった時に、今年で4回目だったんですけど、第1回目の時に参加させてもらって、もう度胆を抜かれました。『病気病気』と自分の中では思っていても、そう思わせられないんですよね。来られた当事者の方は普通に、普通の人間として生きていらっしゃる。その姿を見て、『あ、こんなふうにも生きられるんだなあ』と思いました。ピアカウンセリング(ピアカン)にはまっていきました。

最初は職員主体でやっていましたけれども、職員がJHC(板橋会)のほうに行かれて勉強されて帰って来て、いろいろアドバイスくださって。それから、自分は1回目からピアカンセミナーに参加していたので、当事者とかが司会を行うことになってからは、初めのうちからもうピアカウンセリングに関わりだしました。

そうですね、ピアカンがあまりにも衝撃的で素晴らしいものだったので、(地域活動支援センター)すみよしより近い支援センターにも取り入れられないかと思いまして、ピアカウンセリングとまではいかないのですけど、ピア活動をできないかということで職員の方と話して、今、もうどれぐらいですかね、結構続いています。」

JHC(板橋会):精神障がい者の社会参加をはじめ、先駆者的創造的な福祉活動を進め、広く区民の心と健康と福祉に寄与することを目的に1983年に設立された民間の支援団体。東京都板橋区にある。(ホームページより一部抜粋)
http://www.jhcitabashi.com/

Q.今後の展望はありますか

「展望…。仕事はですね、やっぱり精神保健福祉関係で、資格も何もありませんけれども、ほんとうの純粋なピアとして、まだ(自分のいるところは)遅れているのか国がどうなのか分かりませんけれども、ケースワーカーの方々等と仕事ができたらいいなあと思っていますけれども。」

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