統合失調症と向き合う

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津田敏正さん
津田敏正さん
(つだ としまさ)
1979年生まれ、33歳(収録時)。23歳のときに発症し精神科を受診。子どもの頃から建築・不動産業に関心があり、29歳で宅建(宅地建物取引業者)の資格を取得。現在は、特例子会社で働いている。1人暮らし。障害者手帳3級。
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6活動が広がる
Q.海外研修のあとは?

「2月ぐらいで1年経つので、そろそろ就職したらと言われて…。親も言いましたし、職員の方も。A型作業所が立ち上がったぐらいの時で、ちょっとそっちに移動してみるかみたいな話もあったんですけど、ちょっと自分には合いそうもないなあと思って、それはお断りしました。

(そして)施設長から、今度は、身体とか知的の障害の枠を超えて、就労に関する手記を募っているから書いてくれないかって、また言われたんですよ、直接。2006年だから、ちょうど7年前にそういうお話をいただきました。原稿用紙何枚ぐらいだろう、10枚か20枚ぐらいだったと思いますけどね、分量的には。書いて、まあ一応本になって…。

テーマを決めようと思って、その時考えたのが『ギブ アンド テイク』という言葉。自分のできることを精一杯やることが社会貢献になるみたいなことを書いたり、当時、自立支援法のことで、結構、言われていたので、そういうことにも言及したり、応益負担的な問題とか当時はいろいろ問題があったので、そういうことに(も)触れて書きました。」

就労継続支援(A型)事業所:一般企業等での就労が困難な人に、働く場を提供するとともに、知識および能力の向上のために必要な訓練を行う事業所で、A型とB型があり、A型は雇用型(雇用契約を交わす)、B型は非雇用型(雇用契約を交わさない)事業所のこと。
応益負担:利用したサービス量(経費)に応じた定率1割の負担。

Q.その他にどのような活動を行いましたか

「2006年の3月14日に、また施設長から言われたんですよ。もう、慣れっこみたいな感じになってきました。でもまあ、ある意味、それが自分のためにもなっているし、職員にも喜ばれたり…。そういうことだったら、それはそれで自分の存在意義があるなと思い始めていた頃だったんですよ。その時に、『津田さん、あなた、ピアヘルパーになる気ない?』って言われて、えーってまた驚くわけです。

ちょうど2006年4月から、精神障害も『みなし雇用』が始まるという時でした。で、それを使ったビジネスモデル、つまり、すぐには精神の方は雇えないけれども、一応精神の人を雇う形にしたい。で、ゆくゆくはうちの、そういう会社のところの心の病を持つ人を導くみたいな、カウンセラー的な立場の候補生になるための修行みたいな感じでやってみないかというのを営業に来た会社がうちの作業所に来て、その就労支援会社の方が、施設長に『誰かいい人いませんか』と言った時に、まあ僕がいろいろ、カナダに行ったり車の運転をしたり手記を書いたりしているという実績を見てくれて、推薦してくれたという経緯があるみたいです。

で、あれよあれよという間で(に)社長と会ったんですよ。その時、ちらっと管理業務主任者という肩書き(を見て)、その社長の方が(の)。『ああ、これは不動産のあれ(資格)だな』みたいなことをちらっと思ったんです。ある意味、推薦入試みたいな形で、形式的にその会社に面接に行きました。『もう、明日行かなきゃいけない』というふうに言われて…。

親とか就労支援の人など(から)も、『そんな就労の仕方をしてしまって大丈夫なの?』みたいなことを言われたんですよ。でも、僕も考える時間がもうなかったので、だったら乗りかかった船だから、とにかくやれることはやって、ダメだったらその時に考えればいいやみたいな勢いが、その時(あって)。いろんな頼まれごとを、ある意味引き受けてきた経緯があったので、『やる』と言ったんですね。で、就職したんですよ、その会社に。

行き先はずっとその作業所と同じ。ある意味破格な条件を出され、飛びついてしまったのが、なんて言うか、良かったんですけどね。でも新たな苦しみの始まりでもありました。」

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