統合失調症と向き合う

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笠原 健さん
笠原 健さん
(かさはら けん)
1977年(昭和52年)生まれの38歳(収録時)。26歳、精神科病院で作業療法士として働いていた時に症状が出現。その後、病院を退職し、現在は、入院している患者さんの退院準備プログラムの手伝いや精神疾患の啓発などピアサポーター活動を行い、アーティストとして絵や詩も書いている。
「詩人artistけんぼーの世界」はこちらからご覧ください→https://kenbo1219.jimdo.com/
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6就労について
Q.退院後、仕事に復帰されましたか

「結局4か月で出た後の通院先は、自分の病院になったのですけど……。すぐ復職できるかというと、復職できるだけの状態でもなかったですし。ある程度休んでから、ちょっとリハビリがてら、家から、仕事の最後のミーティングの時だけに出てくるというようなことをさせてもらいながら、自分の働いている病院での診察ということをしてもらっていたのですね。

デイケアではなくて、もっと仕事が楽な、楽なという言い方もおかしいとは思うのですが、働き方としては分からないですけど、『入院先のほうの配属に変わらないか』と言われて。僕は、学生の時から、デイケアから次の展開にもっていくことが、僕は患者さんにとっては、デイケアも退院された方が通う所だから患者さんではないのですけど、メンバーさんにとっては、もう何十年もデイケアに通うということは、何か変な感じがしていて。もっと地域の人とか、いろんな触れあいが、世界が広がっていく部分があるだろうに、そこに居続けるという(のは)……。

だからもっとそういうデイケアから先というものに、ずっと関わり続けたかったので、僕の中で全然そこから次の展開に行かれたメンバーさんがいなかったので、5年働いていても。で、『なんのために働いていたの?』ということもストレスだったし、自分の中で、次の展開をうまく示されないというか。

その頃僕自身も、医療と福祉で言えば福祉の方面がどんなサービスがあったり、どういうふうになっているかも分かりさえしていなかったと思うのです。だけど、あるメンバーさんに、デイケアから次の展開を考えていきたいとか、そういう時期かなと思った時に、上司にそういう思いを伝えてみたらと言ったら、伝えた先が、『んんー』というような感じで、『はい』(と)、そこでもう終わってしまうというか、それが歯がゆくて……。何のために資格を取ったかが分からなくなってきたというか。だけどお金というか給料は入ってきます。だから申し訳なささえ抱いて……。」

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