統合失調症と向き合う

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近藤健亮さん
近藤健亮さん
(こんどう たけあき)
1980年生まれの37歳(収録時)。25歳でIT企業に勤めていた時に発症し、精神科病院を受診し、統合失調症と診断。入院経験はなし。発症後は、障害を伏せて派遣の仕事に従事するが、うまくいかず、現在は、就労継続支援B型事業所(点字名刺の刻印作業を行っている)で週5日、事務作業に従事している。女性アイドルグループの楽曲を聴くことが好き。
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6就労
Q.短大卒業後の就労について教えてください

「まずIT企業、(H)病院の医者からは『治療と並行して続けなさい』と言われたのですけど、自分には合わないと思って辞めたのですね。それで求人広告を見た金属加工業メーカーに勤めたのですね。

ただそこでも(合わなくて)病状が悪化してストレスも重なっていたのですけど3年3か月で辞めました。そのあとは、派遣社員として29歳から30歳までの1年半ぐらいは過ごしてきましたね。

まあ、症状自体も良くなかった部分もありますし、環境も(合わなかった)部分もあったのでそういう部分というのが、当時は病気のせいもあって、それへの見極めがまだできていなかったという部分も正直ありましたね。まあ簡単に言いますと被害妄想であるとか幻聴であるとか、そういったあたりが中心になってきますね。あと不眠とかうつ状態にもなりましたし。辞めたのです、病気を理由に。出勤すること自体ももうできなくなってしまったし。

派遣社員として働いたのですけど、それも、2010年の10月といいますか30歳ぐらいの時に契約が満了になったのですね。派遣社員として仕事していた時もやはりちゃんとした形で仕事をしたいという思いが強くて、就職活動そのものも並行してやっていたのですね。ただ、その間もやはり地元と(相性が合わなくてと)いうことがあって、就労の支援の拠点を都内に移したのですね。就職活動の拠点を、それを機に、求人を探す拠点を変えたのですね。つまり支援する相手先を変えたという感じなのです。

そのあとは、デイケアに行きながらハローワークに出ている求人に応募したり、あるいは労働局がやっている合同面接(会へ行く)などしたのですけど、書類選考とか(だけや)合同面接会に行っても一次面接だけで不採用にされる状態で。そこで福祉的就労を考えるようになったのですね。

(それまでは)一般企業の障害者枠の就労を考えていたのですね。こういうことでちょっと心身ともに疲れ切ってしまって、まあそれは無理だなと思って福祉的就労を考えるようになって……。それでただ最初いろいろな形を試してはみたのですけど、なかなかうまくいかなかったのですね。少なくても2年前までは。」

Q.障害者枠でうまくいかない理由は?

「やはりいろいろ……、精神というのはちょっと受け入れがたいというイメージがあったのですね、正直な話。そういったことでストレスも重なって。それで周りから『こいつは使えないな』というふうに見られたということが大きかったですね。」

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