統合失調症と向き合う

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清水康彦さん
清水康彦さん
(しみず やすひこ)
昭和50年生まれの42歳(収録時)。大学で歯学部の学生だった22、23歳の時に発症。医療保護入院の形で精神科治療を受けることになる。現在は、生活のリズムを作るために地域活動支援センターに行ったり、同じ病の仲間と集まるようになった。
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2受診の経緯
Q.精神科を受診しようと思われた時にどのような症状が出たのでしょうか

「症状は出ていたとは思うのですけれど、自分でそれに気づいて、じゃあこれは病院に行くことだということは、当時分からなかったのですね、自分は。学生の頃なので22か23(歳)の頃なのですけれども。

直接のきっかけというか病院に入ったのは、医療保護入院という形の入院でした。自分が入りますという形ではなくて、家族と、あとは医者の先生と、本人の許可がなくても入院できるというしくみを通じてやっと入院したのですね。だから、自分でどんな症状があったとかというのをまだ整頓していない状態で、病院に入りました。

(大学の)場所は広島まで行っていたのですけれど、自分の父親が歯医者をしていましたので、自分もその系統の学部に行っていたのですけれど。(自宅からは)離れていますね。

自分の調子がおかしくなり始めたなということに気づいた両親が、何か手立てを取ってくれていたと思うのですけれど。で、ちょうど入院した、1999年なのですけれど、その時にちょっと家に里帰りしてきたのです。

ちょうど(家に)帰って来ていた時に、まあ、うまく言えば捕まえてくれたというか、その時に手はずを取ってくれたのです。こちらの地元の病院の方とかも。それで保護室に行くのですけれども、ほんとに何もない部屋というか……、そういう所にしばらくおりましたね。

学期休みか何かだったのかなと思うのですけども。それから、何かのタイミングでその時(実家に)来たのでしょうけど、まあ、親にしてみたら、いったん向こうに行ってしまったらもうほとんど連絡がつかないから、来た時に何とかせなと思ったのではないですかね、たぶん。」

Q.自分で症状を認識していたのでしょうか

「(それまでに症状は)出ていました。自分なりにも、なんかおかしいなぁと思って対処はしていたのですけれど。

自分の場合、結構声を出すことが多かったり、夜中でも叫んでいたりそういうことが時々あったりして、そういう形で、近隣の人とかからもちょっと苦情がきたりすることもあったですし。それでも気づけなかったというか……。なかなかやはり他の人から、『それは病院に行ったらいいんじゃない』というところまで話が進まなかったのですよね。

それで、当時自分はその辺の小高い山とかに登って、山とかから見下ろして気分をなだめるのが好きだったのです。その程度のことしかできなかったのですけどね。ましてやそれが病院に行くとか、薬を飲むとか、そういうことの対処だというのは、自分も、医学のはしくれの学生だったのですけど、全然知らなかったというか……。それは、今となっては、結構期間はだいぶあったのです。たぶん1年やそこらはあって、それで入院したので、傍目に見ていたらかなり不安定な時期がありましたね。」

Q.発症前に兆候など思いつくことは?

「まあ、学業から出てきたことで考えたら、いい意味で学生の途中になってから、ちょっと勉強しようかなぁと思って勉強しだしたのですよ。そしたら、いらないことまで考えるようになってしまって……。まあ、いろんなことが理解できるようになったのはいいのですけれど、自分の枠が外れたところまで考えが及んでしまったり、ちょっとオカルトっぽいことに興味が向いてきたりしてきたので、そういうところで、まあ、歯止めが利かなかったというところもありましたね。

逆に、病気のこととかお薬のこととか、そういうことを勉強することが好きだったのですよ。病理学とか薬理学というのですけれども、勉強はすごく好きでしたね。それで人の体のしくみとかを勉強するわけですけれど、それが、やったらすごく面白いなというか、面白いと言ったらちょっと変な言い方になりますけれども、ほんと『すごいもんだなぁ』と思いましたね。人の体とか、しくみとかというのはほんとすごいなと思いました、やはり当時は。

自分は、当時から若干ムラがある人で、できる時はできる、できん時はできんという差が激しいのですよね、やはりね。それがたぶん当時からあったのか、ひと頃、がーっと考え込むと、ひと頃、ぎゅーっと気が抜けるみたいなことがあって。今でもそれはあるのですけども。

学生で、家族がそばにいなくても、学生ですからやはり同級生とか、サークルには、部活していたので。バレーボールだったのですけれど、部活の仲間とかがやはりいますから。先輩とかもね。そういった連中との付き合いももちろん初めはあったのですよ。大学に入って1年、2年、3年ぐらいまでかな。そういうのができた頃は良かったのですけれど。

ある時から、何がというところは自分はちょっと意味が出せたらいいのですけれど、何かのターニングポイントから、自分は、ちょっとバランスが崩れてきたというか、出始めて。その頃、よく本とかを読んでいたのですけれど、たぶんちょっとした人付き合いのやり方で悩んでいたのですかね。なんか、そういうことをちょっと知り始めたり勉強し始めたら、ちょっと横道にそれてしまったというか……。

当時自分が好きだったのは、今自分の障害も精神のほうですけれど、精神世界とかいうジャンルに入るような、スピリチュアルなことを書いてある本が結構好きだったのですよ。で、そういうものの影響を結構受けたと感じているのですよね。

そういうことを一人で思っていてもたぶんつまらないので、『なんかなぁ』と思いながら、ちょうどその当時、街を歩いていたら、声がかかって、何かなと思って行って。初めは違ったのですけれど、あとで聞いたらあれは、宗教団体の方だったという感じになってしまって。それが、しばらくしているうちに徐々に入院する段階まで、直前まで来ますわ。だからそれ以上続けていたら、自分の身ももたなかったかもしれないなというぐらいに思うので、やはり、それは入院という形で断ち切ってくれたことで、まだここまでもっているのかもしれないという気もしていますね。」

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