「インターネット時代のアンチスティグマJPOP-VOICE」
野村忠良さん●野村忠良さん
東京都精神障害者家族連合会:東京つくし会
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●「JPOP-VOICE」に出演して

野村さん:次は私。私は大阪ではなく東京です。堅苦しくなりますけど、家族と家族支援の両方の立場からお話をさせていただきます。4つの内容で、今日はスライドが用意してあります。私は初めてスライドを作ったんですね。

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「JPOP-VOICEに出演して」ということで収録される時には私も声がかかりました。森さんと同じように、「どうしようかな」と思って、ものすごい照れ屋だし、全世界に観られるのではないかと非常に緊張しました。亡き妻、妻は亡くなったのですが、妻に精神の病気があったんですね。それを承知の上で結婚しました。その(妻の)親族が本当に絶対秘密にしておいて欲しいという方達なんです。その方達に観られたらどうしようかと思いながらも心配しながらも出ました。今、向こうから何も言ってきませんのでたぶん大丈夫ですね。

縮こまった気持ちで淡々と手短に話したつもりですが、動画はいかがだったでしょうか。若手の精神科のお医者さんを育てている数名のお医者さんから、「野村さんの動画はゼミで使ったけれども良かったよ」と言われて、ああ、そうか、ゼミで使っていただいたんだということでお役に立てて良かったなと思っています。家族の実態が少しでも伝わればと思いました。

●社会の状況

それから次は非常に暗い話なのですけれども、絶望に陥る社会の現状。本当に今は差別と偏見がすさまじいと思います。

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私も実は自分の中にものすごい差別と偏見があることがわかりまして、当事者の方に接する時に本当に自分といつも対決していますね。失礼なことを言うのではないか、失礼な目線を向こうに示すのではないかととても気にしていて…。だから必要以上に頭をぺこぺこ下げてみたりして、自分を抑えよう抑えようとすることが非常に激しいですね。でも社会全体がいつの日にか、そういうことに囚われなくなって、当たり前の人として、今の森さんの話がありましたけれど、当たり前の人が当たり前のことをしているという感覚に早く私達は変わって、社会が明るくならなければというふうに心から願っています。

当事者や家族を含めたすべての市民が、今は偏見に満たされていて重い病気の苦しみを理解できないと思いますね、この病気の苦しみを。森さんは非常に明るく私達に伝えてくださいまして親近感を持ちましたけれども、多くの場合には新聞報道でいろいろやりますから、私達も大変です。それから恥ずべき姿というふうに社会から見られるし、先祖代々の特殊な秘密を抱えている家族ではないかと…。つまはじきですよね。「解決のあり得ない悲惨な宿命ではないか。どうやったってダメなんだ、解決はない」、などと決めつけたような見方がたくさん出てきますよね、社会の中から。「関わりたくない、特殊な人の問題だからなるべくあたらず触らずに行こう」と、町内会で話しても、すぐ話題を変えられてしまいますものね、この統合失調症の問題は。というように遠ざけられて放置される。

しかし当事者とその家族は、残念ながら私達は家族や当事者の方々の中にもおそらく偏見があるんですね。ご自分のことを自分で否定している。「(自分の)一生はもう終わった」と、もう放棄して引きこもりになったりしている。希望が持てない。これは自分の偏見にも言えますけども、社会の偏見も大きいと思いますよね。もしご自分が偏見をやめて立ち上がりたいと思っても、社会の側に受け入れてくれる場所がないからやっぱり絶望に陥ってしまう。これはご本人もそうだし家族もそうですが、社会の側も両方の問題だと思うんですね。これはやっぱり変えていって、本人が生きやすいように変えていかなければいけない。社会のほうも。

それから何とか助かりたいと思って支援を求めていっても、家族からすると、あるいは当事者からすると、本当に適切な支援を行っていただける専門家がきわめて少ないという実情がありますね。本当に信頼できる専門家に巡り会えるのが3年後にやっと巡り会えたとか、5年後だとかあるいは10年後だとかね。今も巡り会えていないという人が2割ぐらいはいらっしゃるのではないでしょうか。どんなお医者様に頼ってもあるいは精神保健福祉士に頼ってもだめだったというような方がいらっしゃるわけですから、大変な問題だと思います。そこは非常に暗い部分ですね。この病気にかかるともう一生(を)棒に振ったと考えてしまう当事者や家族がたくさんいらっしゃる。多くの方々が引きこもりになってしまっている。作業所に通いたくても作業所に合わない方達が3分の2ぐらいはいらっしゃるんですよ、統合失調症はね。いろんな理由がありまして…。

●回復した当事者・家族

次にいきますと、今度は明るい話に変わります。

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助かった当事者と家族から見るとですね、今の森さんもそうですけれど、助かる方々がいらっしゃるんですよね、当事者の中には。これは現状の中でも本当に回復なさっているんです。ありがたいことにアメリカとかイギリスとか進んだ国では「リカバリー」という考えが広まっています。症状を抱えたままでも見事にご本人らしい、自分自身の人生を確立していくという考え方が確立されてきまして、本当に心強く思っています。そして当事者研究というものが「べてるの家」(北海道浦河町)などでなされていまして、絶対自分のことを恥ずかしいと思わない、当たり前の一人の市民としてちゃんと生きていこう、症状があっても病気が治らなくてもそれなりにしっかり幸せに生きていこうということが考えられ始めているんですね。一つの流れになってきています。

だから現状を、精神疾患にあらゆる対策を講じたあとで行き着いた結果、動かしがたいものであるというふうには見ないでいただきたい。現状の中には改革できる部分がおおいにあると思います。その理由は、当事者や家族の姿は、幸運な出会いや適切な支援によって大きく改善することは、回復を経験した当事者や家族によって明らかにされている。これは私もたくさんの方を存じあげていますけれど、本当にそうなのです。回復を果たした当事者や家族の経験から学んで支援方法を確立すれば現状を大きく変えられるはずである。私は本当にそのように、最近とくに強く感じるようになってきました。

それから②として、当事者や家族が直面している絶望は、社会のあり方や環境、支援のあり方などの中で密接な関係性があるんですね。生じてきておるから、絶対的なものではない。これは皆さん絶対的なものだと思って偏見差別の対象になっていますが、実は絶対的なものではないのです。今の森さんのようなお話を私達は身近に聞いて、森さんと毎日親しく接していると、「統合失調症ってそんなに遠い世界の問題ではない、病気が出たとしても私達と一緒に生きていける方達だ」ということを感じると思いますね。

それから次のno.2にいきますと、

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助かった当事者や家族の実感としては、病気に影響を受けながらもさまざまな遍歴を経て達した回復という状況は、病気を経験しないで過ごしてきた人が知っている世界、あるいは満足とは違った充実感を伴っている。これは負け惜しみではないのです。本当にそうなのです。私も家族ですけれど、心の半分は本当に絶望です。悲しい思いもいっぱいあります。でも半分は、希望を持っているのです。私達が体験したことを社会の人達みんなが体験すれば、絶対社会は明るくなる。今より希望をいっぱい持てた社会になるんですよ。それを私達はわかっているんです。わかっているけれど社会に理解してもらう、本当にわかってもらうのは大変なことです。

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で、支援のあり方を明確にする。当事者の意欲が回復するために必要な支援というのはあるのです。これはもうだいたいわかってきているのです、エンパワメントされる方法がね。話をよく聞いてもらえること、親身になって寄り添ってもらえること、いろんな方法があるのです。これは、支援者の人が身につけなければいけないことなのですが、多くの場合が馬鹿にされたり拒絶されたり見下されたり、いろんなことで(当事者の)心の傷をかえって深くしてしまうことがあるのです、支援者からね。それをどうするかがとても大きな問題として残っています。

●社会への提言

最後に、社会への提案として常識や社会通念に囚われないで個々人にとって実感として幸福と感じられる生活、これは一般市民、一般国民も同じことなのです。

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一般の方は、実感として幸福と感じられる生活を求める生き方。ただ働いてお金を稼ぐだけではなくて、真夜中まで働いてお金を稼いで家族を養って次の日はまた出かけていって、挙げ句の果ては過労死とか、あるいは首を切られて路上生活とか、そういう生き方ではなくて、やっぱり社会全体が生き方を考え直さなければいけない時期にきておりまして、これは精神の障害を持った方から学ぶというのがいちばんいいと私は思うのです。その方達が幸せに生きていける社会が、実は私達みんなが幸せに生きていける社会なんですね。これは架空の理想論ではないのです。本当にそうなのです。回復した方をご覧になるとね。

社会全体で幸福の意味を考えて精神疾患にかかっても希望を持って幸福な生活を求めることができる社会を構築することは、すべての市民にとってきわめて有意義なことではないでしょうか、ということで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

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