コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「三途の川を渡る」ということ(後編)
「死」への畏怖
冒頭に登場したわが愛犬は、今、骨壺の中から生前に走り回っていた庭を眺めています。愛犬の納骨をしてくださるお寺が見つかり、申し込みに行ってきました。号泣する私たち夫婦を見たお坊さんは、「3年、お預かりしますよ。3年経ったら、お二人の気持ちも落ち着くでしょうから、そうしたら土に返してあげましょう」と言ってくれました。
そうか、納骨や四十九日や三回忌というのは、残された者のためにあるんだな、と思いました。
そして、もはや世話されるばかりだった老犬であっても、いなくなってみると彼を「世話をすること」が私たちの大切な時間であり、楽しさでもあったんだと、気づきました。
身体や精神を病んで働けなくなると、社会的弱者と言われます。何かを生産するという意味では役割がなくなってしまっても、逆に「世話をすること」の意味を教えてもらうことができると気づきました。
ホスピスケアに尽力された柏木哲夫氏*が「死は、忌み嫌うものではない」と言っておられました。
忌み嫌うどころか、亡くなった方はあれだけの思いをして「三途の川を渡った」人であり、死は畏怖すべきことだと、今回愛犬の断末魔を見ていまさらながら思うのです。「死ぬって、こういうことなんだぞ」と、突きつけられたような気持ちでした。
私は、2回も自殺未遂をしました。
多くの方に心配をかけたという反省や、自分の命は実は自分のものではなく人間は命の操作はできないのだ、という認識は持てるようになったと思っています。でも、もう一つ、生から死への境界線を越えることについて、これほど大変なことだということは、分かっていなかったように思います。
自宅で死を看取ることが少なくなり、様々な終末期医療が進歩して、昔ながらの「本当の死に際」を見ることができる人は、現代では稀ではないでしょうか?
我々は、現代医療の手が加えられた死を「本物の死に際」と思っているのです。
改めて、私は自身の自殺未遂をとんでもないことをしたと思いました。
そして「三途の川を渡ること」そのものの凄さを思い知り、それを成し遂げた方に対して畏怖の念が、強くなりました。
いずれは自分も渡らなければならない、だからこそ今から覚悟を持とうと思いました。
また、精神科医として30年以上診療をしていて、何人もの自死された方々を見てきました。改めて、どんなにか辛かったであろうと思います。
最近、「楽に死ねる方法」といったマニュアルまがいの本や情報が、一般の人でも簡単に手に入るようになってきています。でも、「楽に死ねる方法」など、ないのです。今、自殺願望を持っている人たちには「死ぬって、大変なことなんだぞ! 君には、三途の川を泳いで渡りきる覚悟はあるか?」と、問いたいです。
太古から、死者に対してさまざまな祭りや風習があるのは、死が恐ろしいからではなく、「三途の川を渡る」という大変な作業を果たすことは敬うべきことなのだという認識から来ているのだと思いました。
また、古代のシャーマンといった人達や、現代でも未開発諸国に存在する村の相談役・長老といった人たちの中には、現代医学に当てはめれば「統合失調症」と診断できるような症状を持つ方が、少なくありません。
母がなぞを追ったように、彼らもまたなぞを追い続けて、それを受け入れてくれる社会においては、死者の霊を敬う「他の人にはできない役割」を果たしていたのかもしれません。
今、そういった人たちは脇に追いやられ、祭りや季節ごとのしきたりも、段々失われていくのは、何か恐ろしい気がしてなりません。
現代社会では同じ種類の人間ばかりが、同じものを追いかけうごめいています。そして、古代から人間が死を受け入れるために自然と身に着けてきたしきたりまで失ってしまい、「死」を畏怖する気持ちが忘れ去られているように思えます。
皆様は、どう思われますか?
*柏木哲夫氏:1965年大阪大学医学部卒業。大阪大学精神神経科に3年勤務。1984年に淀川キリスト教病院にホスピスを開設する。副院長、ホスピス長を経て、1993年大阪大学人間学部教授に就任し2004年に定年退官、その後金城学院大学学長となり、現在は、学院長。日本のホスピスのさきがけとして40年近く病院で人の死と向き合ってきた。日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の理事長も務め、多くの著書がある。