統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「才能は、天下の回りもの?(前編)」

マイナスからゼロへ

さて、話を「王子様の次くらいに身分の高い」彼のことに戻ります。

この彼には、不幸な生い立ちも恨みなどの感情も、ほとんどないようでした。それなのに、わざわざ最貧困の地域での仕事を選んだ彼の動機づけが、私には理解できませんでした。

「幸せいっぱい=現状維持、過去への恨みでいっぱい=見返してやる」という単純な方程式では、どうしても彼の凄まじいエネルギーは説明できないのです。

でも、何日か考えていると、もしかして彼は「そういう人達のために働きたい」という思いだけが動機づけになっていたのではないのか、と思い至りました。

神様は、時々こんな人を天から降ろしてくるんだ、と思いました。

だから、彼には何でも揃っていたのです。

こう考え着いたおかげで、私は自分を支えてきた「マイナスの力」の危うさ、一方で「プラスの力」の健康さを改めて再認識しました。

私が医師になったのは「マイナスの力」が元手でしたが、マイナスのままでは、成功体験をしたとしても、人生の幸せには繋がらなかったと思います。人の心の幸せや安定は、社会的地位では絶対測れません。

私は、20代後半から医師をしていますが、50歳過ぎて親との葛藤をある程度清算できたことで、マイナスがやっとゼロにまでなりました。これから、プラスへ変えていくために、いろんなことを経験していこうと思っています。

まだゼロのままですが、それでもマイナスに比べれば「生きることは、こんなに穏やかなことなのか」とやっと分かりました。

できることなら、次世代の若者にはこの「プラスの力」で自身の人生を歩んでほしいと願います。

それには、「プラスの力」を育み、つぶさないでいてくれる社会、「マイナスの力」を「プラスの力」に変え得る社会でなくてはいけないと思いました。そうした社会を作るのが、現役世代の役割・責任だと考えます。

私は天から降ってきたタイプの人間ではないので、インド人の社会事業家である彼がもし目の前にいて、私に医師になった動機づけを聞いたとしても、恥ずかしくて口が裂けても言いたくないと思います。彼のあまりに純粋で駆け引きのない動機と比べると、私は凄く薄っぺらな人間に思えてしまうからです。

でも、そんな私であっても、世の中に対して自分の身の丈に合った役割ができたなら、それはそれで立派なものなんだと、彼のプレゼンを聞いて思えるようになりました。

「天は二物を与えず」と言いますが、ロイは二物も三物も持って生まれてきました。

でも彼は、「才能は、天下の回りもの」と捉えて、その分配に奔走したのです。

本当に成功した人が名声目的ではなく慈善事業を行うようになるのは、「才能も、幸運も、天下の回りもの」であることを、よく知っているからだと思います。

なお、この番組はたいへん良質の番組だと思うのですが、1つ、余分なものがあると思います。それは、放送の最後に、解説者が「本日のプレゼンの要旨は…、話の押さえどころは…」と説明をしてくれることです。

誰がどの話に感動するかには、解説も法則もありません。人を感動させるのは、テクニックではないと思います。事実、この番組に登場する人達の話しぶりは、さまざまです。機関銃のごとく早口の人、30分の枠の中で何行話したかしら、と思いたくなるくらい寡黙な演者、嗄れ声の人からソプラノの美声まで、本当にさまざまです。

共通していることはただ1つ、聞く人を納得させ感動させたことです。

人の心には、法則性があるようでないと思います。もしあるならば、必ずヒットする歌を作れるはずですが、ヒット曲は時にまったく無名の人が思ってもみない作風から出てきたりします。

何をもって聞く人が感動するのか、法則性がないならば、当たり前のことですが、演者が一生懸命訴える「心」を持つことだと思います。

ハウツーは、大学の講義には使えるかもしれないけれども、「心」は解説することはできないと思います。