コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん
第13回 7つの金貨(後編)
マシュマロ・テスト
皆さんは、「マシュマロ・テスト」という実験をご存知だろうか?
スタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルという人が1960年代から1970年代にかけて行った有名な実験のことである。
この実験に参加した子ども達は、机と椅子しかない部屋に通される。机の上にはマシュマロが載った皿が置いてある。実験者は「これは君が食べていいけど、私がここに戻ってくるまでの15分の間、これを食べるのを我慢していたらもう1つマシュマロをあげる。私が戻る前にこのマシュマロを食べてしまったら、2つ目はあげないよ」と説明して、部屋を出ていく。15分の間の子ども達の様子は、隠しカメラで記録されている。
子ども達の行動パターンは、だいたい2つに分けられたという。
1つは、目の前のマシュマロを食べたくて仕方ないがなんとか我慢しようとして、マシュマロに頬ずりをしたり臭いをかいで我慢しようとしたグループで、結局この子達は誘惑に負けてマシュマロを食べてしまう。もう1つのグループは、目を塞いだり椅子を後ろ向きにして座りマシュマロを見ないようにしたグループで、この子ども達は2つ目のマシュマロを手にしている。2つ目をもらったのは、全体の3分の1だったそうだ。
さらに興味深いことに、この実験者らは成長後の子ども達の追跡調査をしている。マシュマロを食べてしまった子ども達に比べて、我慢した子ども達は大人になった時の周囲の評価や学業成績が高い傾向にあったという。
実験に参加した子ども達のIQよりも自制心の強さのほうが、将来の学業成績にはるかに大きく影響すると結論づけられた。2011年にはさらに追跡調査が行われ、この傾向が生涯のずっと後まで継続していることが明らかにされたという。
この実験は「待てる力は、成功の鍵なのか?」という問いを、科学的に実証したとされるのだが、私はこの実験の結果を見て、ちょっと複雑な気がした。
私だったら、たぶんマシュマロを食べてしまったグループに入ったような気がするし、いわゆる「待てない人」の分類に入ると思っている。
私がすぐにマシュマロを食べてしまっただろう理由は、「毎日同じおかずで、おやつなんてもらったことがない」子どもだったからだ。8年間、同じおかずを食べ続けてきた。目の前にマシュマロがあったなら、「食べられるのは今しかない!」と、飛びついていただろうと思うのだ。
子どもの行動特性はその環境因子に大きく影響されながら、本来の資質と綾をなして人格や能力が形成されていく。実際にこの実験でも、家族のメンバーが揃っていることが喜びを遅らせる能力、つまり自制心や自己コントロ−ル力と強く相関する傾向があることも報告されている。ちなみに、子ども達の家庭の経済状況はあまり影響しなかったそうだが、これは意外だった。お金持ちの子で、普段から満ち足りていても「待てない」子はいるらしい。
マシュマロ・テストは、今は見えていない金貨を目指して辛抱強く畑を耕していける能力が、子ども時代に備わっているかを実験したものとも解釈できる。
子ども時代には備わっていなくても、大人になってからの人との出会いや経験で人は変わることができると私は信じたい。だから、マシュマロ・テストで「待てなかった」グループに入った子ども達のほうに興味がある。大人になり、高い自己評価を持つようになった人達はいないのだろうか。もしいるとすれば、そうした子ども達はその後の人生でどんな出会いや出来事に影響を受けたのだろうか?
今は少し「待つことができる」ようになった私は、精神科医の目で自身の生い立ちを振り返っている。