コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん
第16回 笑いの影に努力あり(前編)
心の痛みを癒した「笑い」の力
5年前に、母や自分が精神科に通院していた当事者であったことを公表した。30年間封印してきたことを、なぜ今更公表したのか?
それは、「笑い」の力が私の心の痛みを癒してくれたからだ。
中村ユキさんのマンガ『わが家の母はビョーキです』(サンマーク出版)を読んだ時の感覚は、今も忘れられない。
そこには、統合失調症を患ったお母さんとの34年間にわたる「壮絶」としか言いようのない生活が描かれていた。ユキさんやお母さんの放つ言葉一つ一つにわが身を重ね、何度泣いたか分からない。
そんな哀しいストーリーのはずなのに、今でも私がこのマンガを想うと必ず浮かぶのは、吹き出したくなるようなある一コマだ。
お母さんが近所に迷惑をかけてしまい(たしか、土足で近所の家に上り込んだ時のこと)、ユキさんが近所に謝りに行く場面である。
近所の人達は、「Theご近所」と書かれたTシャツを着ている。そして、嫁の起こした不祥事に「みっともない!実家に返そう」と怒っている姑の顔はのっぺらぼうになっており、「姑」と書いてある。のっぺらぼうであることが、かえって姑の怒りや困り感をよく伝えていると思った。
お母さんが幻聴に振り回される悲しい場面なのだが、たじたじとなった姑の反応がユーモラスに伝わってきて、私はなぜかこの一コマが一番印象に残っている。のっぺらぼうの姑の顔が、精神疾患へのアノニマスな偏見を象徴しているように思えた。
私は、母が周囲に迷惑ばかりかけていた頃のことを思い出していた。玄関を出ると近所の家の窓から伺うような視線を感じたこと、母と電車に乗った時、独り言を繰り返す母と目が合わないようにしていた乗客の冷たい気配……、子ども時代や思春期の記憶は、いつも哀しい場面だった。しかし「Theご近所」さんやたじたじとなっている姑の顔を見て、全身の力が抜けた。それまで肩ひじ張って「笑われるもんか!」「なにくそ!」と構えていた何かが、笑いと共にスーと抜けて行った気がした。
それからは、母との生活を思い出すのがあまり怖くなくなった。暗くて寒々しい子ども時代だったことに変わりはないが、そこにフゥッと笑いが入ってくるようになったからだ。
「笑い」の力ってすごいなぁ、立派にトラウマ治療になっている!……、私は感嘆した。
いつかテレビで、がんを抱えながら高座に上がる落語家の女性を見たことがある。抗がん剤で髪の毛が抜けたためカツラを被っての熱演で、最後はカツラを取ってしまう彼女には、笑いを自分自身の生きる力にしようとする迫力があった。
松本ハウスさん(『統合失調症がやってきた』イースト・プレス)や森実恵さん(『なんとかなるよ統合失調症 がんばりすぎない闘病記』解放出版社)が、病名をカミングアウトして笑いを誘うパフォーマンスを続けるのも、こうした自分自身へのエールなのかもしれない。