コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「三途の川を渡る」ということ(前編)
本当の死に際とは?
私は医師ですので、精神科ではあるものの、研修医の頃から数えると一般の方よりは多くの人の死に接してきました。また、ホスピスという末期の方が入院されている病院でも研修をしました。
ホスピスは、今は「緩和ケア病棟」とも呼ばれていますが、治癒や延命を目的とせず、遺された大切な時間を「その人らしく」過ごすためのケアをする所です。
現在はホスピスほどではなくても、一般病院でも緩和ケアが進歩しており、事故死や殺人でもない限り、医療のもとでの死はモルヒネや鎮静剤などの疼痛コントロールのおかげで、穏やかな死に際となり「断末魔の形相」を見ることはまずありません。
しかし、動物では「緩和医療」は一般的ではないようで、安楽死かそのまま看取るかのどちらかになると獣医さんから言われました。
我が家ではとても安楽死の選択はできず、「もう時間の問題」と言われた段階で、老犬だからきっと眠るように息を引き取るのだろうと思い、自宅で看取るために動物病院から彼を引き取ってきました。
夫婦でつきっきりで看病して10日ほどで亡くなったのですが、これが凄まじい死に際でした。
前庭疾患という神経の病気になったのですが、発病後は吠えることも鳴くこともできなくなっていたのに、死の6時間ほど前から家じゅうに響き渡るほどの大きな声で吠えるのです。「眠るような」どころではなく、どこにそんな力が残っていたんだろうと驚きました。
苦しそうに下顎呼吸を繰り返しながら、そのうち白目をむき出し舌は横にはみ出て涎(よだれ)を垂らし、それでも延々と吠え続け、とても正視することができません。こんなことなら安楽死を選んでおけば良かったと後悔しました。
意識はあり、呼びかけるとこっちを悲しそうな目で見るのです。
何もしてやれず、ただ頭を撫でたり背中をさすったり口に水を含ませたりして何時間も過ぎ、数えきれない吠え声の後、午前4時半にやっと息を引き取りました。
看取った夫も私も憔悴しきっていましたが、亡くなった彼の顔がそれまでの断末魔の形相と打って変わって、本当に静かな穏やかな顔になっていました。
この瞬間、彼は自分の力で「三途の川を渡りきったんだ」と思いました。
彼の「心」はもうここにはないんだと、分かりました。
「三途の川を渡る」とは、本当はこういうことなんだとまざまざと思い知りました。
普段、人間は医療のもとで「静かな」看取りをしていますが、それは表面上であって、本当は必死に三途の川を向こう岸まで泳いで渡っているのでしょうね。
愛犬は、その様をモルヒネや鎮静剤の影響のない状態で、見せてくれたのだと私たち夫婦は思いました。
渡り切った彼の死に顔は、もう私たちの世界のものではなく、向こう岸にたどり着いた者しか見せることのできない静かな、そして尊厳のある顔でした。