コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「三途の川を渡る」ということ(前編)
母の自殺未遂
私が小学校低学年の頃、朝起きて居間に行くと水浸しになったテーブルに母が突っ伏していました。
その頃、母は昼でもカーテンを閉めて生活していたので居間はいつもうす暗かったです。初めは、母が寝ているんだろうと思いました。でも、傍に何かの薬の瓶が転がっていて、いくら待っても母は起きてきません。
段々不安になり、母をゆすったり声をかけたりして、やっと母が目を開けるまで、私にはすごく長い時間のように思えました。
私は、隣の家に助けを求めたり救急車を呼ぼうとは考えませんでした。「それは、してはならない」と、直感的に思ったのです。どのくらい命に影響していたのか、どのくらい緊迫した状況だったのかの判断は当時の私には分かりませんでした。
やっと目を開けた母が「ママは、毒を飲んだのよ」と言って、ニヤっと奇妙に笑ったその顔の恐ろしさは、今でも鮮明に憶えています。
その日は、それから学校へ行ったのかどうかも憶えていません。
これが、母の最初の自殺未遂でした。
その日から、いつ何時母に何が起こるか分からないぞ、という緊張感を背負うようになりました。
こうして死に損なった母は、それから「統合失調症」という精神の病との長い長い闘いを始めることになります。
精神科病院への強制入院や離婚、実父の死去や一人娘である私からの拒絶により、北の地で孤立無援の暮らしを余儀なくされた母を支えたのは、1つにはキリスト教への信仰であり、もう1つは文学への情熱だったと思います。