コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん
第5回 才能は、天下の回りもの?(後編)
年を取って、得をしたこと
先日ラジオに出演させていただいた時、皆様から「声がいい」とたいへん褒められました。
これは、私には思ってもみなかったことでした。
声は、私の最大の劣等感だったからです。
物心つく頃から、私は声のことで散々からかわれてきました。
「おい、ロンパールーム!」「あっ、ちびまるこが来たぞ!」という具合で、私の人格以前に声の印象が先になってしまい、誤解されてきました。深刻な話をしても、子どもが話しているように聞こえるらしく、まともに聞いてもらえないことが多かったです。
終いには、私が話すと皆が「ドン引き」するような気がして、すっかり消極的な人間になってしまいました。
そのうえ、もともとが小柄で童顔だったため、中学生に間違われることも多く、アパートで独り暮らしをしていた時、巡回のお巡りさんから「お母さんと一緒に暮らしていないの?」と、不審がられました。(当時私は、28歳でした!)
若く見られるとは言っても、ここまで来ると色気も何もないと言うことで、劣等感になってしまいます。
でも、放送を録音したテープを聞いて、私は納得しました。
年を取って、私の声が低くなっていたのです。低くなって、やっと調度良くなったのです。「50歳を過ぎて調度良くなってもなぁ」「もっと、若い頃に調度良くなっていれば、人生も変わっていたかもしれない」と、今更のように思いました。
もう1つ、年を取って褒められるようになったものが「髪の毛」です。最近の私に会った方は「長くてまっすぐで、きれいな髪ねえ」と褒めてくださいます。
しかし、老化現象が起きる前(40歳くらいまで)までの私の髪の毛は、とんでもない剛毛でした。
一度、動物園で象の背中に触ったことがありました。その時の毛の感触が、自分の頭の毛の感触とそっくりだったので、ショックを受けたことがあります。
よく「口から先に生まれてきた」と言う人がいますが、私の場合は「髪の毛から先に生まれてきた」という感じで、生まれ落ちた時からゴワゴワした髪の毛がぎっしり生えていたそうです。始めて孫と対面した祖母がまず思ったのは「散髪しないと……」でした。
美容院へ行くと、「お客さんの髪は、乾かすのに他の人の3倍時間がかかる」と嫌な顔をされました。
したがって、ヘアースタイルは、いつも少年のようなショートカットにせざるを得なかったです。長く伸ばすと、まるで歌舞伎に出てくる獅子舞のようになってしまいます。
「髪の毛は重い物体だ」、私の長年の実感です。
お年頃になると、髪の毛の薄いサラサラへアーの人が羨ましかったです。
ところがです!
今、私は同世代が薄毛に悩むのを横目に、颯爽と長い髪を謳歌しています。
年を取って、髪の毛が薄くなり剛毛も細くなって調度良くなり、憧れのロングヘアーがやっとできるようになりました。人間、年取っていいこともあるもんだと、しみじみ思いました。
声と同じく「もっと若い時に、髪の毛が人並みに薄かったら、青春を楽しめたのに」と、恨めしい気もしますが、晩年は失うものが若い頃より多いのだから、この年で「良いこと」が増えるのは、素晴しい事だと考え直しています。