コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「才能は、天下の回りもの?(後編)」
克服した劣等感
劣等感なら、まだまだ売るほど出てきます。
その一つが、不器用なことです。
私の不器用は、とんでもなくひどいものでした。中学の家庭科で針山を作る課題が出た時には、絶望的な気持ちになり、嫌な予感が的中しました。
先生が「できあがらなかった人は、家に持って帰って完成してきてください」と言ったのですが、家には一日中寝ている母がいるばかりで、手伝ってはくれません。
いくら見ても、編み方の解説図は難解な高等数学のようで、あきらめた私は何とセメダインで毛糸を針山の上に貼り付け、何とか外側からみれば「針山」のように見える形にして、学校へ持っていきました。
しかし……セメダインは乾くとカチカチになりました。私の作品を一目見た家庭科の先生は烈火のごとく怒りだし、学期末の家庭科の成績は「1」になりました。
医学生の時、外科の実習で持針器(じしんき)という器具を使って縫合の練習を始めた時も、中学の針山の時と同じ嫌な予感が的中しました。医学生100人中、私だけが最後までその器具を扱えず、夏休みも補習となりました。
家でも子ども達は私の不器用にはあきれており、たとえば家庭科の裁縫の授業で分からない時「家で、お母さんに教わりなさい」と先生に言われた時、子どもは「先生、うちのお母さんは僕よりできないから無理です!」と、最初から先生に直行して聞いていました。
リボンの付いたブラウスは、診療所の受付さんに、あらかじめリボンの形に結んでもらったのを安全ピンでとめて、何とか体裁を保って着ています。
靴ひもを結べるようになったのも、蝶々結びができるようになったのも、大学に入ってからでした。
心優しき大学の同級生が、「何回も繰り返し練習すれば、できるようになるわよ」と励ましてくれ、彼女の横で彼女の動作を何回も見てやっと蝶々結びができるようになりました。
そんな心優しい彼女は、茶道部の部長でした。
ある時、私が茶道部に入部しようとしたら「やめておいたほうがいい」と忠告されました。
蝶々結びは獲得できても、茶道のお点前はあなたには無理、と思われたようです。
そんな私でしたが、五十の手習いで着物の着付けを習い始めました。
着付けを習い始めた動機は、1つは「育ちの良い、ええとこの奥様」のように見られたいという、根性の悪いものでした。
もう1つは、不器用のせいで縫い物や結び物はずっと人生から遠ざけてきましたが、残り時間が少なくなってきたので、今まで避けてきたことにも挑戦してみよう、と思ったのです。もう、誰にも怒られない年になった、という安心感がありました。
しかし家族は、私が着付けを始めると言うと「無理だから、やめたほうがいいんじゃない?」と止めるのです。そう言われると余計着たくなりました。意地で習い続け、1人で着られるようになるまで人の3倍かかりました。
先生に手を取ってもらいながら、初めて自分で縫いつけた半襟の、愛おしい事と言ったらなかったです。頑張ったおかげで、老後の楽しみが増えました。
今は、何か行事があると、自分で着物を着ていろんな所へ出かけます。
また、リサイクルのお店で掘り出し物の着物を見つけるのも、宝探しのようで楽しいです。帯揚げ、帯留め、簪(かんざし)など、かわいい小物がたくさんあって、着物に合わせて組み合わせていると、「日本人で良かった」と思います。
初心者だけが出場できる「着付け全国大会」に無謀にも出場し(事前審査なしで、誰でも出場可)、予選敗退ではありましたが、横浜プリンスホテルのステージに着物姿で立った時は、夢のようでした。
才能ではなく、自分でコツコツ身に付けたものは、傍から見ればたいしたことはなくても、自分にとっては、とても愛おしいものになります。逃げられたり、追いかけたり乗っ取られたりもしません。自分が好きになったことで、自分と仲良しになれる人生の晩年のご褒美のようなものでしょうか。