コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「才能は、天下の回りもの?(後編)」
「かめちゃん」からの手紙
私は「かめちゃん」というニックネームの統合失調症の当事者の方と、文通をしています。ある講演会でたまたま私の話を聞いてくれて、お礼にと素敵な詩集をプレゼントされました。その時から、文通をさせてもらっています。
「かめちゃん」こと三村雅司さんからの手紙は、私に多くの示唆を与えてくれます。
前篇で「マイナスからゼロへ」という文を読んだ三村さんから、こんな感想をもらいました。
「自分もマイナスの力を元手に、詩を書くようになったが、今、自分が願うのは、マイナスの力を失うまい、ということです。大切なのは、マイナスをプラスに変えることよりも、プラスとマイナスの両極のバランスを保つことだと思います。それが、たとえ自分が今幸せであっても、他人の不幸せに共感し続けることができる元になると思います。夏苅さんの仕事は、『他の人の不幸せ』だと思っていたことの中にも、救いと希望の光を見出す、そんな仕事ではないでしょうか。」
私は彼の手紙を読んで、私自身の「回復」は完全なものではなく、私の生い立ちは私の人格に大きな傷を残した、と今まで思っていましたが、その傷が「他者の痛みや苦しさへの共感の原資」となっているとしたら、それはそれで素晴らしい事だ、と思えるようになりました。
こうした気付きを与えてくれた「かめちゃん」に、心から感謝しています。
才能、劣等感、辛い過去の傷……いろいろですね。
時が過ぎれば、劣等感も取り柄になる一方で、才能もいつまでも味方になってはくれません。
人生を、もっと長い縦の軸で考えられたら、青年期はもう少し自由に生きられたかな、と思っています。 そう思うと、あの苦手科目だった大脳生理学の先生(第3回前編参照)にも会いたくなりました。今度は逃げ出さず、責めない生き方のお話を聞きたいと思います。