統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「才能は、天下の回りもの?(前編)」

苦手なものは、苦手

ふと目にしたある本のタイトルに「責めず、比べず、思い出さず」というものがありました。禅と大脳生理学に基づいて書かれている本で、「すべての不幸は、他人と比較することから始まる」という考えの本ではないかと思います。「思います」と書いたのは、実はまだ読んでいないのです。

こっそり打ち明け話をしますと、実はこの著者の先生は私の医学生時代の、一番苦手な科目の先生でした。

もともと私は、100%文系の頭の人間だと認識しています。それが医学部に入るために無理やり理系に捻じ曲げたので、理系的発想の根幹である「科学的根拠を積みあげ、立証する」ことに、基本的にセンスがないのです。

この発想・考え方ができないと、受験では通用した丸暗記も役には立たず、理系科目の単位修得には泣きました。この先生の科目もその一つで、赤点と留年の恐怖に怯える毎日でした。

ちなみに、私の夫は医学部に入る前に他大学で物理学を習得し大学院まで行った人で、横で見ていると「理系頭」とはこういうことかと、己とのあまりの違いに驚きました。夫は「論理的に」物を考え、私は「感覚的に」考えているように思います。2人が余りに違っていたから、数十年も夫婦でいられるのかもしれません。

ある地方局のラジオの番組に、その先生が出演されました。そのすぐ後に、たまたま私の出番があったのですが、その先生の後ろ姿を見た途端、私は反射的に脱兎のごとく逃げ出しトイレに隠れてしまいました。アナウンサーは、何が起こったのか分からずびっくりしていましたが、何十年経っても苦手意識は身に沁みついているものだと、つくづく思い知りました。

ですので、この先生の御著書のタイトルを見ると皮肉なことに、学生時代を「責めて(もっと勉強しておけば良かった)、比べて(他の人は、何であんなに楽々理解できるのだろう)、思い出す(夢に、その先生のテストが出てくる)」のです。

私の頭では、禅と大脳生理学のコラボは治療的意味を持たないようです。

しかし、先生が一般向けにこの本を書かれたということは、人間は生い立ちが幸せでも不幸でも、なかなか怒りや恨み、後悔などの感情とは無縁ではいられないと言うことだと思います。