統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん

第6回 故郷を離れる相(前編)

占いブーム

日本人の宗教観は節操がないと、よく言われる。

お正月の初詣の光景を見た外国の人は、日本には信心深い人がたくさんいると思うかもしれない。そう思われるほど、普段は神様にも仏様にも関心がない人が、正月だけはこぞって神社・仏閣へ参拝している。

「困った時の神頼み」と言う言葉があるが、「未来を知りたい時の、神頼み」に近いのが「おみくじ」なのだろうか?

正月のおみくじはまた格別のようで、皆さん柏手のあと、寒風の中で神妙な顔で中身を読んでいる。

おみくじでは気が済まないほど「未来を知りたい」場合は、占いに関心を持つ人もいる。昨今は、世相の不安を反映してか、占いブームだそうだ。ネットを開くと、やたらと無料の占いの広告が出ていたりする。

私の母親は手相に凝っていて、巨大な虫眼鏡のようなもので、毎日のように手相を観ていた。

自分以外のサンプルが観たかったらしく、横に私がいると「ちょっと手を出しな」と言われ、かなり長い時間手のひらばかりを眺められた。母は私の成長記録を、育児記録ならぬ「手相記録」として記憶していたのではないか、と思うくらい、よく観られた。

手相を観ながら、母は「これは○○線で、ここがこうなって……」と独り言を言っていた。だいたいはろくなことは言われず、「ずいぶん短い頭脳線だねぇ。お前は、何にも考えていないのかねぇ」などと言われた。そう言われると気になってしまい、あとで母の手相の本を盗み見たりした。何百回とそうしたことがあったので、私は何となく手相の観方を覚えてしまった。駆け出しの占い師なんかよりは、よほど手相は観ることができると思っている。

ある時、医大祭で出店が少ないから何か出すように言われ、サークルにも入っていない私は、唯一の特技だった手相の店を出したことがある。

階段の下のうす暗い場所に机と椅子を置いて、「手相」と自筆で書いた半紙を1枚机に貼って、一人で客を待っていた。

「これでは誰も来ないだろうなぁ」と思って座っていたが、ポツリポツリとお客さんが来はじめ、「キャー、すごーい、当たっている!」とはしゃぐ看護学生の黄色い歓声が宣伝効果になったのか、気がついたら長蛇の列ができていた。

医大祭実行委員会の人が「最後列は、ここです」と札を掲げる騒ぎとなり、それを見た内科の教授に「あなたは、道を誤ったね。医者より占い師のほうが、大成したんじゃないの?」と言われた。終わってみれば、医大祭で一番儲かったのは私だった。

それからしばらくは、大学構内を歩いているとあちこちから手が出てきて「手相を観て!」とせがまれるようになった。孤独な医学生時代の、唯一スポットライトが当たった一瞬だったが、私はその出店以後、人様の手相を観ることは一切しなくなった。

なぜか?

占いを信じない方はどうでもいいと思うかもしれないが、他人の人生に「ちょっとだけ」関わることを繰り返すことは、あまり良いことではないと思ったからだ。

酔っぱらったおじさんが、からかい半分で「手相を観て」と寄ってくるのは適当にあしらっておけばいいが、ほとんどの人は真剣に「不安でいっぱいで、じっとしていられない。少しでも、未来が知りたい」と思ってやってくる。だから、私の出店にも何時間も並んで待っているのだ。そして、当たる、当たらない、にかかわらず、私が言ったことがその人の人生の決定に、何らかの影響を与えるとしたら、とても恐ろしい気がしたのだ。

そしてもう一つ、自分は「本物」の占い師ではないと思ったからだ。プロと言う意味ではない。何十年もやっていてテレビにも出るような占い師でも、「本物」ではないことがある。

「本物」の占い師とは「当たる占い師」ではない。

「本物」は、未来を予言できる人ではない。その人の困っていることに寄り添って、自分の占いの知識の中からプラス思考になれるような助言やきっかけを探し出し、提供できる人が本物だ。

正直に言って、どんな占いにしろ、未来を分かることはできない。占いは、一種のカウンセリングだと私は思っている。

医大生の時の自分は、統計学を頼りに手の平の線を読み解くだけで、「プラスのきっかけ」となる助言など、とてもできなかった。

ここで参考までに……、私の経験則から言うと、手相は過去についてははっきり分かる。嘘も浮気も、手相ではバレる(心当たりのある方は、ご用心を!)。しかし、未来を当てるのはやはり無理である。八卦(はっけ)などと違い、手相は一種の統計学である。こういう線のある人は、こういう人生を歩むことが多い、と何千年前から各国(手相は、西洋もインド、中国もだいたいどの国も共通です)のデータに基づいている。その人の生活習慣が手のひらに現れると考えられている。

だから、過去についてはかなり言い当てることができるので、それで信用されてしまい、未来については分からないので曖昧な言い方になってしまうのだが、お客さんは信じてしまう。

もちろん、将来王様になる人と最貧層になってしまう人の手相の違いは、やはり未来にも出ている。私は、今は手相観はしないが、時々テレビに出る政治家の手相は、つい見てしまう。彼らは、演説の時に群衆に向かって手のひらを大きく広げて手を振っているので、よく見えるのである。それで、「あっ、この人は大成するな!」「あぁ、この人はちょっとダメかもしれない」と値踏みしている。

本人に伝わるわけではないので、選挙結果と照らし合わせて、気軽に楽しんでいる。もし本人が聞いたとしても、大物になる人ほど、気にしないのではなく、手相でさえプラスの知恵に替えてしまう勢いやたくましさがある。