コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「故郷を離れる相(後編)」
サーカスの歴史
サーカスの「悲しい」イメージは、単に私の思い出ばかりではないようである。Wikipediaで、サーカスの歴史を調べてみた。
サーカスの始まりは、古代エジプト時代に遡る。古代の円形劇場や天幕などで、動物や人間の曲芸などが催されたので、円周・回転を意味する語源から「circus」と言われるようになった。
近代サーカスの原点は、1770年のイギリスの「アストリー・ローヤル演芸劇場」だとされる。
日本に初めてサーカスが来たのは、1864年に横浜で興行された「アメリカ・リズリー・サーカス」だった。それまでは、いわゆる「見世物小屋」はあったが、いろいろな演目を一度に見せる形式のサーカスは初めてで、たいへんな反響を呼んだ。
1986年に来日したイタリアのサーカス「チャリネー座」に五代目尾上菊五郎が強い衝撃を受け、「鳴響茶利音曲馬」という猛獣使いが登場する歌舞伎を上演している。
日本人によるサーカスは、1899年、山本政七らによって旗揚げされた「日本チャリネー座」が始まりとされる。その後、大正から昭和にかけて有田サーカス、木下サーカス(1902年、木下唯助が創始)などが続々と創立し、人気となった。
当時日本では「曲馬団」という名称だったが、1933年に世界一の動物調教を誇るドイツのハーゲンベック・サーカスが団員150名、猛獣182頭を引き連れて来日し、日本中で大人気を得てから「サーカス」という名称が定着した。
ちなみに、私が今回見た木下大サーカスは、団員60名、猛獣(シマウマやキリンが猛獣かどうかは別として、動物全体で)数十頭だったので、いかにドイツのサーカスが大規模だったかが分かる。
しかし、サーカスの歴史は「児童虐待」の歴史でもあったそうだ。
児童虐待の歴史を調べていると、「バイコ」(売子)という子どもを売買する言葉が出てくる。
子どもの頃に見たドラマで、親が子どもを叱る時「サーカスに売り飛ばすぞ!」というセリフがあったのを憶えている。戦前まで、サーカス、見世物小屋、大道芸などでは、公然と子どもの売買がされていた。
1948年に児童福祉法が制定されてからは、満15歳未満の子どもを使用することは禁止されたが、それまでは曲馬などは子どもの頃から芸を仕込まないとできないと言われ、かなり小さな子どもも加わっていたらしい。
たしかに、私が見たサーカスでも子どもの出演こそなかったものの、子どもかと思うほど小柄な体格の団員が、アクロバットを披露していた。小さいほうが、より高度な芸が成功するのだろう。
もしこれが、幼い子どもだったら、きっとけっして楽しんで見てはいられなかったと思うが、よく考えてみるとスポーツの世界には、今も同じようなことが起きている気がする。
体操やフィギアスケートなど体重が軽いほうが有利な種目は、どんどん低年齢化が進んでいる。本人が望んでいるのでもちろん児童虐待ではないが、本来成長過程として体重も増えて当然のはずが、勝つためには体重増加を制限しているのは、かわいそうな気がしてならないのは私だけだろうか。
帰りに、「野生象の保護活動に寄付をしたら、象さんと記念撮影ができます」とアナウンスがあり、早速寄付をして写真を撮るために小さい子ども達 に交じって行列に並んだ。家族は、「恥ずかしいから母さんだけで並んで!」と言って、一緒には映ってくれなかった。
でき上がった写真を見た子どもから、「母さん、ものすごく嬉しそうな顔してるよ」と言われたくらい、おおいに満足して帰路に着いたが、ふと芸を見せてくれた動物達のことを考えた。
キリンの「マサイ」は、遠くマサイ族の住むアフリカからやってきた。まさしく「故郷を離れる」人生を歩んでいる。
ホワイトライオンもシマウマも、日本中を巡業しながら故郷を思い出すのだろうか?
動物にも手相なるものがあるとしたら、彼らにも「故郷を遠く離れる相」が出ているのだろうか?
赤いテントを出ると、真冬の空はすっかり暗くなっていた。
テントの奥から「ウォー」という雄叫びが聞こえてきた。紛れもない「百獣の王」の雄叫びだった。
観客に愛想を振りまいていた時の「ウォー」とはまったく違う。やっぱりライオンはライオンなんだと、思った。
地響きのするような彼らの声を、ちょっと怖くも思い、そして少し安心して聞いた。
子どもの頃は、親がいなくて寂しくなったサーカスだったが、大人になり、リベンジしようと出かけた今は、子ども時代とは違った悲しさや寂しさを感じながら見たサーカスだった。
そして、「もう、リベンジはやめよう」と思った。サーカスに限らず、私にとって子ども時代の一日一日が恨めしかったけれど、「復讐は人を救えない」と分かったから。
過去は、やはり取り戻せない。「取り戻した」と思い込んでいるだけだ。
「取り戻せない」過去はあるけれど、「今から作れる」未来もある、と思えるようになった。
子どもが、「一緒に行ってあげるよ」と言ってくれた富士サファリパークは、「リベンジ」のためではなく、楽しく行ってこようと思っている。
西条八十作詞、古賀政男作曲の「サーカスの唄」を、聴いてみた。
「故郷を離れる相」そのもののような唄だったが、なぜか懐かしかった。