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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「故郷を離れる相(後編)」

40年ぶりのサーカス〜夢の世界へ

そんな自分の眼に、「静岡に、木下大サーカスがやってきた!」という新聞の広告が飛び込んできた。

私は、リベンジしようと思った。

すぐ切符を注文したが、元旦しか席は空いていなかった。

「元旦からサーカスか?正月くらい、ゆっくりしたいなぁ」とぼやく夫を拝み倒し、子ども達を引き連れて、とうとう私は「家族で」木下大サーカスの赤いテントをくぐった。

次男から「母さんがあんまりはしゃいでいたから、隣の幼稚園の子がびっくりして、サーカス見ないで母さんを見ていたよ」と言われたくらい、嬉しかった。「夢がかなった!」と思った。40年前は買えなかったポップコーンを夫や子どもに無理やり持たせて、幸せをかみしめた。

そして、赤いテントの中で「夢の世界」が始まった。

まずは、「これこそ曲芸」と唸らせた空中アクロバット。CGではない、生身の人間が、毎日練習してきた「芸」そのものだった。一発勝負のハラハラ感もまたいい。

7脚のイスを積み上げて、1人でバランスを取りながら歩く妙技、これまたハラハラし通しだった。

大きな籠の中で、360度に走り回る本物のオートバイのショーは、途中からガソリンの臭いと煙が立ち込めて、迫力満点だ!

きらびやかな衣装をまとった異国の美女による一輪車の曲乗りパレードも、その美しさと技に感心した。

そしてサーカスと言えば!何と言っても空中ブランコである。団員の、地上にいる時からキビキビとした、無駄のない動きにまず感心した。

直に見る空中ブランコは、やはり圧巻である。

ビルの天井ではなく、特設された赤いテントの丸い天井を背に、筋肉の塊のような青年達が、正確にブランコをつないでいく。テントからもれる陽の光と照明の影が幾重にも映って、まるで水中にいるかのような錯覚を起こす、幻想的な空中ショーだった。

私は、運動は一切ダメで肉体労働など論外の人間なので、肉体を駆使した芸を観ると、尊敬と畏怖の念さえ湧いてきてしまう。

彼らの日頃の練習と努力を想像し、思わず涙ぐんでしまった(年を取ると、涙もろくなる……)。

「道化師」達も、面白かった。次の出し物までの準備の時間さえ、彼らが無駄なく楽しませてくれた。

ちなみに、サーカスには欠かせない「道化芸」は、19世紀のパントマイム役者のジョセフ・グリマルディ、ジーン・オリオールらによって始められたそうだ。彼らが、現在のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルを確立し、真っ白に塗った顔にだぶついた服という、おなじみの姿になったという。

静岡公演の道化師は、2人とも外国の人だった。そして、何の躊躇もなくペラペラと英語をしゃべっていた。でも、かえってそのほうが道化師らしく、リズミカルな動きによく合っていた。

そして、いよいよ、待ちに待った動物達の登場である!!

トップバッターは、シマウマの火の輪くぐりだった。

動物は火が怖いから、「火の輪」なんてかわいそうだと心配していたら、ごくごく優しげな「火の輪」だったので安心した(ほぼ、ろうそくに近いかも…)。

象さんは、愛嬌があった。驚いたのは、器用に二足歩行をしたことである。

タイ国仕様の衣装が、とっても似合う象さんだった。

キリンの「マサイ」の登場には、会場からどよめきが起きた。

天井に届きそうな長身で、ゆったりテント内を一周する。

キリンは人間になつきにくく、芸をさせるのは非常に難しいそうだ。一周して、最後に観客からバナナをもらって退場となり、何の芸もしなかったのだが、それだけで存在感が十分あった。

こんな首の長い動物を、全国巡業する時にどうやって移動させるのだろうかと不思議に思っていたら、ラッキーなことにマサイの移動場面を目撃した人に会った。帰りに乗ったタクシーの運転手さんだった。彼に「サーカスを見に行った」と話したら、その人はマサイが移動している所に遭遇したという。

天井に穴を開けたトラックの荷台から、首だけ出したキリンが自動車道を走っているのを見て、運転手さんは一瞬目が止まったそうだ。

「こんな光景は、滅多に見られない」と見惚れていたが、当のマサイはゆうゆうと乗っていたそうだ。さすが、マサイはプロである。

猛獣ショーのラストは、目玉のホワイトライオンのショーだった。さすがにこの時だけは安全のためリング全体に金網がかけられ、調教師1人だけが中に入り繋がれていないライオン6頭と向き合った。

ライオンだけあって他の動物とは迫力が違う。「ウォー」というだけで、最初は怒っているかのように見え怖かったが、見慣れてくるとライオン達が調教師に甘えるような仕草をしていることに気が付いた。

世の中には、サーカスで動物を使うことに批判を寄せる人も多い。

その意図は理解できるが、この日のサーカスを観る限り、動物たちと団員の間には愛情や優しさは十分あると思った。

飼い犬が飼い主に「お手」をするのも、けっしてエサほしさだけではない。「お手」をして、頭を撫でてもらうことが犬にとって喜びになるからだ。

そうでなければ、誰も助けに入れない金網の中で、1人でライオン6頭と向き合うことはできないと思う。

こうした、スポットライトを浴びる華やかなショーも十分楽しめたが、それと同じくらい感心したのが、幕間に大活躍するスタッフ達の姿だった。

サーカスの舞台は丸く、360度観客に囲まれているので、片づけも丸見えである。大道具や空中ブランコのネットなどを片づける、その手早さに私は感嘆した。1秒の無駄もない動きを、団員それぞれがしている。しかも、笑顔で!

サーカスは、団員全員の見事な協働から成り立っている。

この作業を見ていたら、新幹線の清掃作業員のことを思い出した。

いつも東京駅で新幹線を待っている時、マジックのごとく短時間に見事に清掃をする姿を見て感嘆していたので、ぜひこの清掃員さんのことをここでご紹介したい。

新幹線の車両清掃を担当する「JR東日本テクノハート・TESSEI(テッセイ)」は、その画期的な取り組みで世界から注目を集めている。

テッセイはこの清掃作業を「新幹線劇場」と呼んでおり、たしかにその作業の正確さと素早さは、「劇場」の名に恥じない完成度である。欧米の高官が視察に訪れたり、CNNでは「ミラクル7ミニッツ(奇跡の7分間)」と絶賛された。7分間で、1人100席の清掃を完ぺきにこなす。世界で賞賛されるのは、そのスピードだけではない。「劇場」なので、その姿は優雅で礼儀正しいのである。

そのうえ、優しい。

私は電車に乗ると、どういうわけか切符をよくなくす。一度は、ご丁寧に行きも帰りもなくしてしまった。テッセイさん達は、終点に着いても切符を探して降車しない私に嫌な顔一つせず、一緒に切符を探してくれた。

幸運にも、座席の隙間から切符が出てきたことも度々あり、テッセイさんには本当にお世話になっている。

「速いこと」と「優雅であること」そして「親切であること」は両立することを、テッセイが、そして木下大サーカスが見事に見せてくれた。

私の夢をかなえた2時間のサーカスは、あっという間に終わりになった。

CGやハイビジョン画面に慣れた目には、昔ながらの曲芸は「昭和」の雰囲気でかえって新鮮に見えたが、ふと隣に座っている夫を見ると、彼は寝ていた……(疲れているのに、無理やり引っ張ってきて、悪かったなぁ。ごめんね)。

子どもは「母さんがそんなに喜ぶんだったら、どこでも一緒に行ってあげるよ」と優しいことを言ってくれたので、今度は富士サファリパークへお供をしてもらおうと思っている。

ここも、子どもの時から行きたいと思っていた、私にとっては「夢の国」だ。