統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「時間を超えて、歴史に遊ぶ(前編)」

歴史は、直接自分につながっている

人は、自分につながる家族史がどんな悲惨なものであったとしても、物語として紡ぎ直せるのだと再確認したのは、ジェニファー・テーゼという女性の本を読んでからだ。

彼女の祖父の名は「アーモンド・ゲート」、終戦後に絞首刑になったナチ強制収容所所長である。

ジェニファーは、家族で穏やかに暮らしていた38歳の時、図書館で「それでも私は、父を愛さざるを得ないのです」と書かれた実母の本を偶然見つけ、自分がアーモンド・ゲートの孫だったことを知る。

タイトル『祖父はアーモンド・ゲート』。この本は、第二次世界大戦の歴史と共に、ジェニファーがまったく知らなかった自身の家族史を辿っていく物語である。

彼女は生後4週間で養護施設へ預けられ、7歳で養子縁組に出された。実母の書いた本がきっかけで、既に成人し家庭人となっていた彼女は、十数年ぶりに実母と再会する。母は、再婚して異父妹がいた。

覚悟の上の再会で、ジェニファーは母自身も自分の知らない所で、自分の知らない年月を苦しんで生きてきたことを知る。

ジェニファーは唐突にやってきた事実に恐れながらも向き合い、祖父母から両親、そして自分へとつながる「家族の歴史」が、自分の未来にもつながっていることに怯えながらも、事実を受け入れていく。

実母との偶然の出会いから、自分の子どもも運命として家族の負の遺産を受け継ぐしかないと悟ったからこそ、彼女は家族の過去と向き合ったのだと思う。

このジェニファーの気持ちの変遷は、私が母と10年ぶりに再会した場面と重なった。

子ども自身には何の責任もない事柄が、家族の一員であるというだけで子どもの人生に容赦のない影響を与える。

人は、その人が望む、望まないにかかわらず、連綿と世代を超えて続く家族の重荷を背負って生まれ、そして生き続けるのだと思う。

生老病死の一つ一つが、家族の歴史に刻み込まれていく。

歴史は、直接自分に繋がっているのである。

私は精神疾患の親を持つ子の立場だが、病者の子どもを持つ親の立場の方はたいへん多い。「家族はみんな、語りきれない不条理の中で生きている」と、ある方が言っていたことを思い出した。

親も子も、負の遺産も含めて世代の運命を引き受けていくしかないならば、そこに希望を見出すにはどんな手立てがあるのだろうか?

「人が回復する」ためには、その人の家族の歴史も含めて「人生の意味」「自身の存在の意味」を辿ることが、絶対に必要だと思う。

平均寿命80歳強の時代となった。個人の生きる歴史は長くなる一方だが、個人のはるか昔に、その人の存在の元があることを忙しい私達は忘れている。

ある政治家の方は、どんなに忙しくても数年に一度は、とある山にある樹齢1,300年の古代杉に会いに行くのだそうだ。その杉は「片道4時間かけても会いに行きたい、特別な存在」だという。

樹高44メートル、幹囲11メートルの古代杉を見ていると、曲がりくねった幹や枝から、時空を超えて生きてきた気概が伝わり、自分の悩みなど「あっという間の出来事ではないか」と思えるそうだ。

かつて思春期の私を救ってくれた弥生土器を思い出し、私は「そうそう、そうだよね」とうなずいた。

今度は、古代杉を見に行ってこようかな。