コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん
第9回 時間を超えて、歴史に遊ぶ(後編)
ゾウの時間 ネズミの時間
我が家の三男であった(と、私は思い込んでいる)愛犬の「元気」が昨年、17歳で旅立ってしまった。
今も、彼が寝ていた場所に彼がいないことが納得できず、喪失感はなかなか埋まらない。周囲からは大往生と言われるが、飼い主としては「17年は、あっという間だったなぁ、もっと長生きしてほしかった」と思ってしまう。
でも「元気」にとっては、17年はとても長い時間だったのだろう。
生物学者の本川達雄氏が書かれた『ゾウの時間、ネズミの時間〜サイズの生物学』(中公新書)という本がある。
この本によると、ゾウとネズミの一生を物理的な時間で考えるとゾウは100年近く、ネズミは数年を生きるが、一生の間に呼吸する回数は哺乳類であれば、その大きさによらずほぼ一定の5億回、一呼吸に要する時間を基準にして測った生物学的な寿命は同じであるという。
また、呼吸時間と心拍数は比例するので、ゾウでもネズミでも一生の全心拍数は同じだとのこと。ただ、ヒトは心臓が1回打つのに約1秒だが、ハツカネズミは0.1秒、ゾウは3秒かかるそうだ。
動物によって、時間の感じ方が違うことをこの本の著者はおもしろいたとえで説明している。
『リンゴの木から、リンゴ・鉄の塊・ネズミ・ゾウを同時に落としたとすると、同じ高さから落とせば地面に落ちる時間は同じ。でも、落ちるまでの間に、ネズミは「あぁ、落ちてる、落ちてる、どうしよう」といろんなことを考えながら地面に着くけれど、ゾウは「あれぇ?」と思った時にはもう地面に着いている』。
ネズミの数年間はゾウの100年と比べると、いかにも短く不公平のように見えるが、実はそれは我々を中心にした時間感覚であって、ネズミにはネズミのそれなりの時間があるのだと、この本は説明している。
ちなみに、心拍数から生物学的にヒトの寿命を割り出すと26.3年だそうだ。
実際、縄文時代のヒトの寿命は、31年だったと推定されている。
そういった理論からすれば、現代人は生物学的な本来の寿命より、ものすごく長く「おまけの時間」を得ていることになる。予防医療や感染症対策など、様々な分野の進歩のお陰なのだろう。
よく「年を取ると、時間の経つのが速く感じる」と言われる。
これも「ゾウの時間、ネズミの時間」的に考えると、年を取ると心拍数は年々遅くなりネズミよりゾウに近くなっていく。リンゴの木から落ちる時にネズミはたくさん考えられるから落ちる時間を遅く感じ、ゾウは早く感じるのと同じ理屈となる。
他にもジャネーの法則「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」というのもある。50歳の人にとって1年の長さは人生の50分の1だが、5歳の人にとっては5分の1となり、分母が大きくなるほど心理的な時間は早く感じるという説である。
オランダの心理学者、ドラーイスマ著『なぜ年をとると時間が経つのが速くなるのか』(講談社)も、おもしろい。興味のある方は、ご覧ください。
愛犬がいなくなったことを嘆いていた私だが、こういった本を読んでから「元気」の死を少しは受け入れられるようになった。
「ねぇ、元気。お前は、十分、長い時間を充実して生きたんだね。良かったね!」と、彼の首輪と大好きだったおもちゃのボールが飾ってある遺影に向かって、話しかけている。