統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん

第18回 動物、大好き!(前編)

私の、最初の友達

一人っ子で転校ばかりしていた私には、友達がいなかった。

そんな私の最初の友達は、愛犬「コロ」である。

北海道に住んでいた小学生の頃、外出しない母に代わって食料の買い出しに行った魚屋の店先に、細い紙ひもで柱に括り付けられていた子犬がいた。

生後2か月くらいで、心細そうにちょこんと座っていた。

もともと生き物が好きだった私は思わず抱き上げて、魚屋のおじさんに「この子、もらっていい?」とせがみ、雑種でもらい手がなく困っていたおじさんから快くもらい受けてそのまま抱いて帰ってきた。

もらってきたものの、子どもの頭では子犬をどうすればいいか分からない。

家の中には、母が怒るので入れられず、石炭小屋(今では灯油タンクに置き換わったが、当時の北海道の家にはどの家にも大きな石炭を貯蔵する小屋があった)の中でしばらく飼っていたが、当然石炭の上に排泄をする。おしっこのかかった石炭をストーブに入れると火が消えてしまい、家中が臭くなった。

困り果てていたら、ある時、珍しく家に帰ってきた父が犬を見つけた。

犬などに関心も持たないだろうと思っていたら、「なんだ、お前、こんな所で飼っているのか!」と驚いたようで、何を想ったのか廃材を集めて日曜大工で犬小屋を作ってくれた。なかなか立派な犬小屋だった。

この時ほど、男親のありがたさを感じたことはなかった。きっと、父も犬好きだったのだと思う。たまに帰ってくると、犬の頭をよく撫でてくれた。

近所で父が作った犬小屋と似たものを見かけると、優しい一面のあった父のことを思い出す。

やっと自分の住み家をもらいコロと命名されたその犬は、私のかけがえのない友達となった。学校から帰るとすぐ犬小屋へ行って、コロと長い間話をした。犬は、どの犬もそういう所があるが、じっとこちらの話に耳を傾けてくれる(そのように見える)。自分のおやつも牛乳も、コロと半分にして一緒に食べた。8年間続いた私の夕食の鳥肉のホイル焼きも、コロと分けて食べた。

コロがいなかったら、私の子ども時代はもっと荒んでいたと思う。

コロとの友情は、5年間しか続かなかった。

父が、九州に転勤になったのだ。平(ヒラ)の会社員だった父は、北海道から九州まで鉄道で2泊3日で移動した。とても、犬まで連れていける状況ではなかった。父にしてみれば、母を連れていくだけで精一杯だったのだと思う。引越しの最中も、幽霊のように呆然と立ち尽くしている母を見て、私はとてもコロも連れて行きたいとは言えなかった。

荷物を全部トラックに積み込むと、父は私に「コロを捨ててこい」と言った。覚悟はしていたが、哀しくてどうしようもなかった。

お小遣いで買っておいたソーセージをポケットに入れて、コロに「散歩に行こう!」と声をかけた。コロは喜んで、飛び跳ねながら私についてきた。

いつもとまったく違う道をいくつもいくつも通った曲がり道で、私はソーゼージを遠くに放り投げ、そのまま曲がり角を路地に入って、後ろを見ずに走って帰ってきた。

家に着くと、父が母を車に乗せて待っていた。コロが戻ってくるかもしれない……と期待しながら走り出した車から後ろをずっと見ていたが、コロの姿はなかった。

もしコロが家に戻れたとしても、家は空っぽで誰もいない。

あの当時は野良犬がたくさんいた。

コロもその中の一匹になって、たくましく生き延びてくれたと考えることにしている。

コロとの哀しい別れは大人になってからもずっと傷となって残っていたので、大人になり自分の責任で正々堂々と犬を飼えるようになった時は嬉しかった。

その犬「元気」は、このコラムの冒頭に登場した我が家の三男である。

コロは最後まで飼えなかったが、元気は17年間共に過ごし看取ることもできた。元気のお蔭で、私の遠い昔の傷は少し癒されたように思う。