統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「三途の川を渡る」ということ(後編)

よしもとばなな作『キッチン』

たくさんの死を見て遺された者の悲しさを目の当たりにして、自殺さえもできなくなった私は、しょんぼり生きていました。

そんな私の1つの拠り所となった本があります。よしもとばなな(旧筆名:吉本ばなな)さんの『キッチン』という小説でした。確か、ばななさんが日本大学芸術学部の学生さんだった時に書かれた、とてもとても若い感性の本なのですが、私が引き込まれたのは『キッチン』には死が満ちていたからです。

この本では、本当に出てくる人がどんどん死んで行ってしまいます。家族全員が亡くなり、一人残された主人公の「みかげ」は、台所の隅で冷蔵庫の「ブーン」という機械音を子守唄代わりに聞きながら、膝を抱えて眠ります。

この機械音の持つ温もりが、私には心の奥に届くようによく伝わってきました。

その時の私は、骨折をしてしまい身動きができなくなっていましたが、「助けてほしい…」と連絡できる家族は、いませんでした。勤め先の(精神科)病院の院長が気の毒がって、開放病棟の1室に歩けるようになるまで私を住まわせてくれました。

そんな当時の自分の状況を、「みかげ」に重ね合わせていたのだと思います。空で言えるほど、何回も何回も読みました。

このように書くと、『キッチン』が実に暗い小説のように思われるかもしれませんが、この本に描かれた死は暗くはありませんでした。そうだったら私は逆に辛くて読めなかったと思うのです。

「みかげ」の唯一の身内だったおばあちゃんの死から、新たな出会いが始まります。「みかげ」を含めて登場人物一人ひとりの生き方が、流れるように自然で、軽やかでした。それでいて、きちんと「死」を受け止めしっかり見つめていました。

「あきらめる」という言葉の語源は「明らかに見る」だそうですが、登場人物の軽やかさは、死を明らかに見つめたうえでの「あきらめ」があり、潔さがありました。死が満ち満ちているのに、「再生」という匂いが立ち上がってくるような、そんな不思議な小説でした。だからこそ、世界25か国で翻訳されベストセラーになったのだと思います。「死」は、どの国のどの人にとっても、共通に訪れるものですから。

この本の中には「頑張れ」とか「みんな辛いんだよ」とかは、一言も書いてありません。ただ、普通の日常が私でも手の届く「優しさ」や「希望」に置き換わっていく様子に、わずかな光を見ていたと思います。そして「死」とは逃げる場としてあるのではないというメッセージをぼんやりと感じて、少し背筋を伸ばせたように思います。

今も、私の本棚に大切に並べてある『キッチン』の表紙を見ると、あの頃の痛々しいほど小さくてか細かった自分の姿が浮かんできます。

そして、年を取ってもう一度読み返してみると、あの当時は分からなかったこと−「死」とは、辛い状況から逃げるために求めるものではないこと、「その時」が来たら、受け入れるしかないけれど、決して恐ろしいものではないのだ、ということが、人生の残り時間が少なくなった今、しみじみと分かるようになりました。