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コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん

第8回 時間を超えて、歴史に遊ぶ(前編)

弥生人との「ほっとする」時間

小学校から大学に至るまで、学生時代はつくづく良いことはなかったと、今思い返しても暗くなるが、そんな私でも楽しい思い出がいくつかはある。

その一つが、高校時代の部活動だ。

私は、考古学クラブに入っていた。九州地方の盆地にあった高校は、周囲に弥生時代の古墳や遺跡がたくさんあった。そのため、高校にしては珍しい「考古学クラブ」があった。最も地味で部員の少ない部だったが、そこが校内での唯一の私の居場所だった。

元々歴史が大好きで、母の蔵書の源氏物語や枕草子などの古典文学を、意味も分からぬままに母に隠れて夢中で読んでいた。

中学時代にひどいいじめに遭い、すっかり人間が怖くなってしまった私は、高校に入学しても誰とも友達になれず、学校では一日中下を向いて歩いていた。明るく華やかで、男の子達の噂話を笑いながら話す女子生徒達は、私にはまったく別の生物に見えた。

そんな学校生活の中で、弥生土器の破片が並べてある考古学クラブの部室は、生きた心地のする唯一の空間だった。

2,000年以上の時を経た土器はカラカラに乾燥して、人の生活の生々しさはすっかり抜けている。今にも崩れそうな脆(もろ)い土器に触れている時だけ、ほっとした。

かつては飲み食いや祈りの儀式など人々の生活に使われ、権力争いも見てきたであろうこうした土器も、時を経るとこんなに無欲で無機質になるのだと考えると、自分の目の前の重苦しい毎日が少し楽になったような気がした。

授業中に「ここが弥生時代で、ここに竪穴式古墳があって……」と空想に耽(ふけ)ってしまい「ボーッとして、話を聞いていない。集中力に欠ける」と、よく教師から怒られていた。

今、児童精神科医をしているが、「集中力がない」と学校から言われ診察を受けにやってくる子ども達の中には、私の仲間のような子もいるのではないかと考えると、本当は味方をしたくなってしまう。

土日の部活では、長靴に軍手、作業着に麦わら帽子、シャベルという、およそ女子高校生らしからぬ恰好で駅に集合し、地元の郷土博物館の職員やボランティアと一緒に遺跡の発掘に参加した。

当時、職員と部員が協力して発掘した「甕(かめ)棺」には人骨の一部も残っていた。記念の甕(かめ)棺は、今も市内の博物館に保存されている。

だから、私の憧れの職業の一つは考古学者だった。

学校の勉強で一番できたのも歴史で、歴史の先生にはかわいがってもらった。しかし「考古学をやってみたい」と父に言うと「考古学なんぞ、食っていけんぞ!」とあっさり切り捨てられ、あきらめた。

私は一生結婚できないと思っていたので、女一人でも生きていけるような「食っていける、職を身につける」ことが大前提だったからだ。

夢の考古学者にはなれなかったが、今も私の歴史好きは続いている。