コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「「氏より育ち」か「血は争えぬ」か……(後編)」
科学と幸せの関係
私の生い立ちを聞いたある方から「夏苅さんは、今、幸せですか?」と聞かれたことがある。
とっさの質問で、自分でもよく考えぬ間に「はい、幸せになりました」と答えていた。とっさに出た答えだからこそ、本当の気持ちのように思う。
5年前の自分なら「う〜ん、どうだろうか……」と答えに詰まっていただろう。
5年前と今と、私を取り巻く状況は客観的には何も変わってはいない。
この5年間で、天から降ってきたような素晴らしい幸運が訪れたわけでもないが、それまでは認識できなかった幸せがはっきり分かった気がする。
母や自分の病歴を公表したことで、家族史を振り返ったことがきっかけだと思う。
当たり前だと思っていた人との出会いが、ほんの数か月違っていたら一生その人とは出会うこともなく、私の人生も大きく変わっていたかもしれない。そうした出来事や人との出会いがいくつもあったことを振り返ると、今、自分がこうしてここにいることが当たり前ではなく、「意味ある偶然」の積み重ねだったと分かってきた。
まさに「サイコロが振られた」ように思う。
そう思うと、道徳とか倫理観とかからではなく、本当に「生きていること」に感謝する気持ちになる。この感謝の気持ちを持ってもう一度初めから人生を始められたら、どんなにかまっとうな人生を送れるだろうか……、つくづくそう思うが、人生は一回きりなところがいいのかもしれない。二回あったら、「もう一回あるから……」と考えてしまい、二回目の後がなくなった人生でやっと本当に分かるのだろう。一回も二回も同じことだ。
オランダの画家、フェルメールの愛好家で有名な生物学者の福岡伸一さんが『芸術と科学のあいだ』(木楽舎)という本を書いておられる。
見ることができるフェルメールの作品はすべて見たそうだが、まだ見ていない作品を見つけたいと言う。「フェルメールおたく」にして、科学の世界に生きる生物学者だが「あるかないかのフェルメールを捜し歩くことと、あてどなく問いかける研究は同じです。」と述べられている。ちゃんと、科学と芸術がつながっているのだ。
福岡氏がフェルメールを好きな理由の一つに、フェルメールが生きた時代背景があると言う。当時、フェルメールは針穴写真機に似た装置を作りガリレオは望遠鏡で天体を観察した。17世紀は科学と芸術が融合した時代だったのだ。
ちなみに、私の母が愛した絵はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だった。母が科学を追及したとは思えないが、精神病と名を付けられた母の内界は実は科学者のような探求心に満ちていたのかもしれない。フェルメールの時代のように……。