「もう4、5年前の話ですね。なんというんですかね。もう訳がわかんなくなって、ちょっと暴れているような状態で、強制的に(病院に)連れてこられたという状態ですね。ちょっと相談に乗っていただいた昔の会社の上司が精神病院に行こうということになって、で、行ったら、ここじゃあ手がつけられないので大きな病院に行きましょうということで。そのときに行きたくないと暴れまして。それで、強制的に連れて行かれたという感じですね。
具体的には、とにかく頭の中がちょっといろんなことでいっぱいになってしまいまして。仕事でも追いつめられたような状態になってしまいまして、家族のこととかもいろいろありまして、それで、なんか自分がねらわれているような感じがしまして。自分でもよく憶えていないんですけども。で、とにかく病んでいるところを(昔の会社の上司に)相談したら、まあ精神病院に行こうということになりまして。
(最初の病院で)警察呼ばれまして、身体がもう動けないようにぐるぐる巻きにす巻きにされて(次の病院に)もってこられまして。で、それが解かれて、そのときに注射打たれまして、そこからはもうあとは寝てた思いしかなくて。で、気がついたらパジャマを着て、みんなと一緒にご飯を食べてたと、そういう状態でしたね。」
「ちょうど1か月ですね。(ずっと)同じ病棟です。相部屋で4人ぐらいで1部屋で、みんなと一緒にご飯食べるようなところでしたね。
薬飲んで、あとは暇な時間つぶして、という感じでしたね。あと別にやることがないので。まあとにかく仕事がほっぽらかしだったので、早く帰りたいということだけを言っていたんですけども。まあ、とにかく病院にいさせられているという感じでしたね。」
「2週目ぐらいですかね、月末ぐらいに考えましょうかっていう話があって、3週目ぐらいから具体的に何月何日に帰りましょうという話になって。それがちょうど1か月。
(退院は)うれしいというより、自分のいない間の仕事がどうなっているのかが不安で不安で。で、どうしようかって、とにかくお客さんのところを回って。商売切れちゃったお客さんもありましたんで、大きいところだけ残っていたんで、まあそれでよかったですけども。あとは月締めの請求書とかもいっぱい溜まっていましたので、処理とかがすごくたいへんでしたね。会社、自分でまず経営していましたんで、そのときは。それがたいへんでしたね。」
「毎日問診にくる先生と、やっぱりあとは母親がすごく心配しまして。なんか食べたいものがあるかとか、すぐ連れ出してくれたりとか。あとは、ま、破談になっちゃったんですけど、婚約者がいましたので。遠いところ2時間ぐらいかけて来てくれていましたので、そういうのがやっぱり心の支えになって。でまあ、早く元気になろうというのがありましたので。」
「その発作が起こって、病院に入る寸前ですね。1週間ぐらい眠れなくて何も食べられないような状態でしたので。アルコールだけとって無理やり寝ようとするんですけれど寝れなくて。でも仕事はいろいろあって。そうですね、それが辛かったですね。
そのとき店も経営してたんですよ。今は食品の卸しだけなんですけど、直売店をやっていまして、それがだいぶ景気よく売れるようになって、人手がいるのに人が辞めていくとか、そういうのがありまして。もう店もいっぱいいっぱいの状態で。僕も通うだけでもたいへんだったんですけども。で、昼間は卸しの仕事をして夕方からお店をやって、それから夜中に帰ってという。で、みんなの給与計算をしたりですとか、事務計算、事務仕事したりとかがあったので、それでもういっぱいいっぱいで。まあちょっと飲食店に手を出したのが、失敗ではなかったんですけども、それがたぶん大きかったんだと思うんですけども。で、倒れ。最初、過労だろうぐらいに考えていたんですけど、まあ精神のそこまでの病気だとは自分でも思っていなかったんで。当時はまだ若かったからできたんだと思いますけど、今、できないですけども。」