統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん

第11回 絵心(えごころ)と歌心(うたごころ)(後編)

人はなぜ、歌を歌うのか?

友人と「なぞなぞ遊び」をしたことがある。

禅問答のような問いを私にどんどん投げかけてきた友人だが、「人はなぜ、歌を歌うのか?」と私が問うたところ、「う〜ん」と絶句して答えられなかった。

歌には、不思議な力がある。戦争や災害の時、焼け落ちた家の前で、荒れ果てた街並みを前にして、人は誰からともなく歌を歌い出す。それはいつの間にか大合唱となり、天に届くような歓声に近い歌声となっていく。東北の大震災の時も、被災者も支援者も涙を流しながら「上を向いて歩こう」を歌っていた。

昔の歌が何かの拍子にふと耳に入り、そのメロディーと共にその頃の自分が経験した情景や悲しみ・喜びが一気に浮かんでくる……こんな経験をされた方は多いと思う。「歌は、昔に戻る呪文のようなもの」と言う人がいるが、本当にそうだ。

小説や絵の力も凄いけれど、年齢や男女の差・学歴や地位も超えて、たった数分間で何千人・何万人もの人の心と思い出を鷲掴みにしてしまう歌の力は、素晴しいと思う。「アナと雪の女王」の挿入歌を、映画館で親子で歌っている情景は、微笑ましい。子ども達が大人になっても、この曲をふと耳にした時、お父さんやお母さんと映画を見た時のことをきっと思い出すのではないだろうか。

動物が歌を歌うのかどうかは分からないが、歌詞とメロディーが一体となった伝達手段を持つのは、人間だけではないだろうか。

病気になる前の母は、歌もとても上手だった。

若い頃「歌手にならないか?」とスカウトされそうになったと、母から聞いたことがある。

生まれ故郷の北海道(札幌)に近い町に住んでいた頃は、カラヤンが指揮する交響曲が好きで良く聞いていた。しかし、父の転勤で各地を移り住み、とうとう九州までたどり着いた頃には、カラヤンではなく加藤登紀子さんの「知床旅情」という歌を繰り返し聞くようになっていた。まったく知り合いのいない土地で、母はこの歌に故郷を重ねていたのだろうか。

「知床旅情」の歌が流れてくると、レコードの前で膝を抱えて何回も聞いていた母の姿が浮かんでくる。