コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「絵心(えごころ)と歌心(うたごころ)(後編)」
音痴に変わるもの
先に母は歌がとても上手だったと書いたが、病気になってからの母は完全な音痴になった。後天性の音痴である。
10年ぶりに母と再会した私は、数日間を母と過ごして「また来るからね」と帰ったが、年老いた母を北の地に残してゆくことに後ろめたさを覚えた。
子どもの頃、母が歌が好きだったことを思い出して「お母さん、昔よく歌を歌っていたよね。私がいない時、これで歌を歌ったら?」とカラオケの機械を買ってあげた。
その前で一緒に「知床旅情」を歌って驚いたのは、母が私よりひどい音痴になっていたことだった。
母の音程がまったく外れた歌を聞いていると、私は耳を塞ぎたくなった。そして、あの音楽のテストの時に私の歌を聞いて耳に指を突っ込んだ男子生徒のことを思い出した。彼が、そうした行動をとった理由が分かった気がした。あれは、当てつけなどではなかったのだ。彼の音感に鋭い耳には、私の歌は耳を塞ぎたくなる音だったのだろう。
人は、その人の立場になってやっと分かることがある。
母は、統合失調症になったから音痴になったのだろうか?
以前、担当していた患者さんが「この病気が酷い時は、好物のおいしさが半減した。良くなってくると、おいしさも戻ってきた」と言っていた。精神の病は、状態が悪いと味覚機能も損なうことがあるのだから音感も同じかもしれない。
母は統合失調症に罹ったことで、音楽中枢の機能不全を起こしたのかもしれない。
しかし母の書き手としての言語能力は発病によっても損なわれることはなく、むしろ凄みさえ感じるほど一層研ぎ澄まされていったように思う。
亡くなる数年前から精力的に俳句つくりを始め、実に3年間で5冊の句集を出版している。遺品の大学ノート十数冊には、これから発表するつもりだったのだろうか、びっしりと書き込まれた作品が並んでいた。
病気になることで、人はそれまで備わっていた能力を失ってしまうことがある。しかし、その失われた機能以外の部分が発達することはよく知られている。視力を失った人の聴覚や触覚が鋭くなるのは、そうした代償機能が働くからだ。母は音楽中枢が損なわれた代償に、メロディーを奏でるように生き生きと言葉で表現をしていたのではないか。
母の句には取り立てて意味もないと思われる日常を、まったく思いもつかない視点で取り上げ、そこにユーモアや躍動感を与えているような句がたくさんあった。
私も、自ら歌を歌う人生には恵まれなかったけれど、その代わりに他の機能が少しだけ発達したように思う。それは、人に「語る力」だ。
講演会などでは、原稿を見なくても頭の後ろのほうから文字が浮かんできて、まるで台本を読むように話すことができる。私は他の人もそうなのだろうと思っていたのだが、他の人は原稿を必死で読んで話していると聞いて驚いた。人には、何かしら取り柄がある。
写生大会の彼女(第11回 絵心(えごころ)と歌心(うたごころ):前編参照)のような才能はないが、この年になって意外と見つかる取り柄があることを知って、年を取るのが苦にならなくなった。
音痴をきっかけに脳の仕組みをおさらいしたが、やはりどんなに脳科学が進んでもその先には「心」があると思う。
母が歌った「知床旅情」はひどく音程が外れていたが、母の「心」で歌った「知床旅情」だった。それは、盲目の少年が母親に「今日の風は何色?」と聞いた「心」にも通じ、学生時代のライバルの彼女が描いた「絵心」にも通じている。
皆さんは、どんな歌を口ずさみますか。そして、どんな絵を「心」の中で描きますか。