統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」夏苅郁子さん 「7つの金貨(後編)

見えない人は世界をどう見ているのか

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗 著)という本がある。

「目の見えない人の世界は、見える人が目をつぶった世界とは違う。目をつぶるのは、4本脚の椅子から1本取るようなもので、椅子は倒れてしまう。見えない人の世界は、もともと3本脚の椅子である。脚の配置を変えれば、3本でも椅子は立つように、視覚以外のバランスを変えることで、見える人とは異なる世界を構成している。」

読んでいて、「な〜るほど、そういうことか!」と感心した。

スープが大好物の、ある一人暮らしをされている視覚障害の方がいる。いろんな種類のレトルトパックのスープは調理の手間も省け便利なのだが、表に何味か触って分かる印がないものは、食べたい時に食べたい味のスープが選べないのでとても困るという。しかしその人は「これをくじ引きや運試しのようなものとして楽しむ」ことにしたという。本当にどうにもならない時には、むしろその状況を楽しんでしまえばいい……、納得した。見える人とは別の感覚世界だからこそ得られた発想なのだと思う。

私は、熊谷晋一郎さん(東京大学)という方のことを思い出した。

発達障碍者や統合失調症の方のべてるの家などの当事者研究をされている、非常に優秀な小児科医の方だが、熊谷さんは出生時の仮死で脳性まひとなり、電動車椅子で生活されている。

大学に入り、初めて一人暮らしをした時のご苦労を「一番困ったのが、トイレですね。何回も失禁しました。どうして人間の肛門は、もっと手の近くについていないのかと真剣に考えた」と、ネットのインタビューでユーモラスに語っておられるが、その忍耐と努力は五体満足の私には想像がつかないものだと思う。

その熊谷さんが、パスタ好きの視覚障碍者の方と同じことを言っておられた。「トイレで失禁してしまった時、ああそうだ、ここに手すりを作ってこうやれば、上手くいくんじゃないかなと考えるのは、すごく新鮮で楽しかった。」

熊谷さんは、それまですべてご両親の世話を受けて生活されてきた。だが、「世の中が両親の姿に阻まれて良くみえないなぁ、じれったい!」と思っていたので、たとえトイレで失敗しても、自分の目で直接世の中が見える楽しさのほうが大きかったという。

熊谷さんは電動車椅子がないと移動できないが、別の感覚世界を楽しめる「お金持ち」かもしれない。

私は母が精神疾患だったこと、自分自身も精神科に通院していたことを公表したお陰で、今が人生で一番幸せになった。応援してくださる方がたくさんいて、「お金持ち」ではないけれど、私は「人持ち」になれた。

私には十分すぎるほどの金貨を両手いっぱいに抱えながら、「生きるってこういうことだったのか」と感謝している。

皆さんにとっての「7つの金貨」は、何でしょうか?