統合失調症と向き合う

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コラム「なぞを追う」 夏苅郁子さん

第17回 笑いの影に努力あり(後編)

母校

大学を卒業して、もう30年以上になる。

母校がある県と同じ地域に住んでいるので、母校を訪れる機会はいくらでもあるのだが、この30年間、医師としての教育を受けた場を訪れることはなかった。

医学部に入った頃から、私はそれまでの真面目な優等生から反転して、親や周囲に心配ばかりかける問題の学生となった。それまで、崩壊した家庭の中で誰に言われたわけでもないのに、一生懸命勉強ばかりしていた。家の中がひどい状態でも不登校になることはなかった。「家の中が変だから、自分まで変になるわけにはいかない……」。そんな必死の青春時代は、医学部受験が終わった途端、糸が切れてしまった。

初めての一人暮らしで、両親の顔色をうかがう必要がなくなったのだから伸び伸びすればいいのだが、自分を抑えて生きてきたので自由に振る舞うことに戸惑った。周りの女子学生は、皆しっかりして自分の意見をきちんと言えたのに、私は「自分が何をしたいのか」が分からなかった。

いじめられた体験から、「偏差値の高い大学に入ること」でいじめた奴らを見返すことだけを励みに10代を過ごしてきた。そんな私は、大学に入った途端、自分が中身のない空っぽの人間になっていることに気付いた。

友人がいなかったので、大学に入ったら友達を作ろうと躍起になってしまい非常識なやりとりをして大学の中で孤立していった。友達を作るのは、受験勉強のようにはいかない……。人付き合いの基本さえまったく分からない私だった。

6年間を孤独に過ごし楽しい思い出など一つもなかった母校なので、卒業する時には「もう二度と、ここには来ない」と思った。

……それから30年が過ぎた。

思いもかけず、私は母や自身のことを公表することになり、たくさんの人が私の話を聞いてくれた。知り合いがたくさんできて、人生で初めてお金持ちではなく「人持ち」になったと思った。私のコチコチに硬くなっていた心が、少しずつほどけていった。

穏やかな幸せを感じるようになった頃、母校の看護学部の方から「学生に、夏苅さんの精神疾患の親を持つ家族の気持ち、そして当事者としての想いを話してください」と依頼が来た。

「この私に?」、教授会で退学勧告をされた学生時代を思い出し「こんなこともあるんだなぁ……、人生って何が起こるか分からない」とつくづく思った。

初夏の晴れた日、数十年ぶりに母校の医大を訪ね看護学生に講義をした。看護学科3年生の皆さんは21歳の若さ一杯で、元気な笑顔に圧倒されながらも、一生懸命お話をした。

質疑応答の時間になったが、こういう講義ではあまり質問が出ないのが常なので誰も手を挙げないだろうと思っていたら、あちこちからニョキニョキと手が伸びる。

「先生は、精神科医をやめたいと思ったことはないか? あるとしたら、それはどんな時か?」

「精神科医が不足しているせいか、どこも混んでいて時間が足りないという話を聞く。先生自身はどんな工夫をしているのか?」

「数十年ぶりに母校を見て、何を考えたか? 母校の変化を、どう思うか?」

母校の看護学生の純粋さや率直さが嬉しかった。

これらの質問へ私がどう答えたかは、いつかまたどこかで書きたいと思っているが、今日は私が答えるのに窮した質問をお伝えしたい。

その質問とは

「医師・患者関係にも、ユーモアや笑いが必要と言われたが、先生自身の診察ではユーモアや笑いについて、どんな工夫をしているのか?」

というものだった。

この質問が出たのには、理由がある。

私は、精神科医のコミュニケーション能力を全国の当事者・家族に評価してもらう全国調査を平成27年(2015年)に行った。7,226名もの回答をいただいたが、その中に「あなたの主治医を動物にたとえると何になりますか?」という質問を作った。

まったく学術的ではない質問で、大学の先生方はきっとこんな質問は作らないだろうが、中村ユキさん(漫画家)からは「夏苅さん、この質問光ってるよ!」と褒められた。

私が医師という立場だけだったら、こんな質問は作らなかったと思う。

自分が家族・患者だった時、主治医に質問をするのがどんなに憚(はばか)られたことか……、特に出された薬の副作用が酷く、処方した主治医にそれを言いたくても敷居が高くて言えず、ついには駅のごみ箱に薬を捨ててしまったことがある。主治医から「医学生なのに……」と散々怒られたが、患者と医師との関係が対等ではないことを身に染みて感じた。

現代の患者・医師関係も、私が医学生だった当時と「関係性が対等ではない」ことに関しては、あまり変わっていないと思う。

医学は非対等性である。専門知識を持った側と専門知識を持たない側とが対等ではないことは当たり前なのかもしれないが、専門職が想像する以上にその権威勾配は大きいことを専門職こそが知るべきだと思う。

そうした自身の経験から、この勾配を何とか和らげる工夫はないものかと考えて作ったのが、この主治医を動物にたとえる質問だった。

講義を聞いた学生は、「なるほど……」と思ってくれたのだろう。

そして、もう一歩踏みこんで「そんな質問を作る夏苅さんは、自分の診察ではユーモアを出すためにどんな工夫をしているか」と問うたのだと思う。

私は答えに窮した。

「患者・医師関係には、ユーモアが必要」と主張する割には、自分の診察にはまったく何の工夫もしていなかったからだ。

答えに詰まった私が思い出したのは、ホスピスの柏木哲夫先生(現ホスピス財団理事長)だった。