「私、昭和20年生まれの今満71歳です。約30年ぐらい前ですから(私が)41〜42歳ぐらいに(息子が)発病しまして、現在に至っているんですが。(平成)6年、胃を手術しまして、それをきっかけに会社を辞めて、(平成)8年に、精神障害者の作業所のほうへ3年間行きました。その後(ボランティア)『てのひら』の代表もしまして、いろいろなところへ、『私のところへ来てほしい』と言われ、今現在に至っているのです。」
「昭和45年(生まれ)の46歳です。高校2年生の時に発病というか……。すごく家から飛び出していきましたので、何がなんだか分からない。生まれた時から大学病院のほうにずっとお世話になっておりまして、高校へ通う時も、帰りに、主治医の先生のところへ寄って悩みとか相談に乗ってもらっていたと思うのです。で、先生から突然に、『すぐに病院に来てください』と言われて、初めて知ってパニック状態でした。
なんて言うかつじつまの合わない変なことを言うし、妄想的なことがありまして。学校から帰ると、『お母さん今日も学校へ来とったら、何を頼んどったん?担任の先生に』。で、『いや、行ってへんよ』と言ったら、後ろ姿を見たと。そういう被害妄想的なことがしばらく続きまして。先生が、すぐに精神科のほうへ行かれたほうがいいですよと言われた。学生でもあるので、小児精神科を紹介されまして、『本当は入院せな、だめですけど、ここは入院設備がないので、大学病院のほうへ行ってください』と大学病院に行きまして。そしたら、『飛び出して行くと、交通事故とかに遭いますから危険ですから、入院したほうがいいですよ』と言われて7か月入院しました。
(退院後)高校の担任の先生は、進級できますと言われたのですが、本人は、『僕は自分の目標があるから、自分の力で卒業したいから休学にしてほしい』と言いまして。1年休学し、1級下の生徒さんと一緒に卒業しました。自分は薬学部に行きたかったんです。いろいろ大学も調べたり、私達も期待していたのですが、結局受験になると1年のブランクがあったものですから、失敗はしました。そのあと、高校の担任の先生が、『情報処理のほうへ行かれたらどうですか?』と言われて、情報処理のほうへ行きました。」
「そこを2年で卒業しまして、学校の推薦で、自動車メーカーの会社へ入ったのです。その時もすごく喜んで、私達も喜んで良かったのですが、責任感の強い子で、自分のちょっとしたミス『ボタンを押し間違えたんかなぁ』と言うて元気なく帰って来ましたので、『誰でもミスはあるんやで、そんなに心配せんでもええよ、謝っといたらええから』とは言っていたのですが、すごく、『全社に迷惑かけた』と言いまして、辞表出しまして、その後、家出しました。3日間帰って来なくて。車で行きまして。『今ここにおる』と言ったので、『ゆっくりでええから、気をつけて帰っといで』というふうに言いまして。その間、(精神科の)主治医の先生とも連絡を取りまして……。」