「結局は、家から離れたくないという思いが強かったのかなと思うのです。それも援護寮に入っていても、夜になると、飛び出して近くに大きな病院がある屋上から飛び降りかけたりとか、首を吊ったりとかがあって、(自宅から)夜中に(その場所へ)走りました。
(平成)18年の1月に退院しまして、9月、グループホームと作業所と一緒の施設です。グループホームに入ってから毎週(家に)帰って来ました。そのうちに(息子が)『もう帰らへん』とか言って、向こうで暮らしていたのです。」
「もう、夢のようでした私も。苦労してきた甲斐があったな、やれやれここまで来たと、それは嬉しかった。9年それが続いて、去年(2015年)の9月に、突然に(家に)帰って来たのです。私が、自宅の裏の畑におったら、大きな声で叫びながら帰って来た。何があったんかなと思ったら、意味の分からないことを言ってきて、『何があったん?』と言ったら、施設長さんの名前を言って、『あんな奴、僕ばっか怒る』とか、そんなことを言ってきたものですから、たぶん、私の体のことを施設長さんが知っていたから、『お母さんが元気でおってもらおうと思ったら、あなたはここにおったほうがいいよ』というふうなことを言っとったのを私も聞いていたのです。
主治医の先生は、『行ったり来たりでええんやぞ』というふうなことを言ってくれまして、本当にそんなふうで私もいいと思っていたけど、ずーっと我慢に我慢をしていたのだ思うのです。」
「先生が亡くなられて、違う先生に代わって、面談を申し込んだら、『本人抜きで面談できません』と言われまして、全然会ってくれなくて。帰って来た時に、『今こんな状態ですから、もう入院さしてほしいんです』と言ったのですが、本人が嫌がっているものをさせませんと言われ、その後2週間に1回診察に私も付き添った。メモを書いて、裏から先生に渡してもらっていたのです。それでも聞いてもらえなくて、状態が悪くなって帰って来た時点で、外来の看護師さん、訪問看護の看護師さんは悪いのは分かってもらっていたから、いつでも部屋は空けとくから連れて来てと言ってもらっていたのです。それが、悪くなりまして……。実は、私の身が危険になってきたものですから警察を呼んだのです。
警察の方から病院へ交渉してもらったのですが、結局何を言っても入れてもらえなくて、警察も連れていってくれないのです。あくる日、保健所のほうへ相談して、保健所の職員さんが来てくださって、今の病院へ入院さしてもらって、現在、そんな状態なのです。」