「今、だいたい各家庭でもそうなんですけど、顔合わせて、マンションにしても隣近所は誰が住んでいるかわからないような現状じゃないですか。やっぱり隣近所にご挨拶さしていただくと、『ああ、隣の渥美さんね』ということで、『ちょっとおばちゃんお塩がないんだけどお塩貸してくれる?』とかってよく借りに行ったり、そういうようなコミュニケーションを取っていますけどね。
やっぱりどうしてもなんて言うか統合失調症、精神の障害っていうと地域の人には怖がられちゃうイメージってあるじゃないですか、へんに精神という名前を使われると、そういった時期もたしかにあったんですよね。だいたい、テレビのニュース見ていて、ああ精神病の人って怖いのかあっていうイメージ、いつ襲われちゃうかわかんないとかそういうイメージって強いじゃないですか、結構。ちゃんときちっとしたマナーのご挨拶をさせていただくとやっぱ『健康に気をつけてね』とかって言ってくれるような近所づきあいみたいな形で、逆におっしゃっていただくとかっていう面があるんですよね。」
「隣近所の友だちと仲よくしなきゃいけないんだな、というようなそういった、まあどうしても健常者の方となんというかお付き合いするっていうのはたいへんですけど。でもうち解けて話していくと、まあほんとにふざけみたいなそういったおかしな点はないんですけども、隣近所さんとうまくやっていかなくちゃいけないのがきちっとできなかったときは困っちゃうというときとかってありますけど。」
「うちの地域なんか下町ですよね。銭湯ってあるんですけど。昔、南こうせつさんの(歌)『神田川』で石けんカタカタなったっていうような、あのう洗面器ね、ああいった風潮(風情)の下町に銭湯がありまして。銭湯に行くとそこで地域の情報交換ができる提供場所になっているんでね、そこがやっぱし素肌と素肌で接しられるというね。ぜひお背中流させていただきますっていう形で銭湯に行ってお年寄りの方の背中流させていただいたりしているときとかってありますね。
楽しいんですよ、銭湯に行くと、一人で(風呂に)入っているより。やっぱしねぇ、例えば、ああ、あの男の人僕よりハンサムだなとか、お風呂行くといろんなタイプの男性に会えるから。俺負けちゃったなあの人には、あの人ハンサムだな俺よりって、悔しいから、心だけは麻酔にかからないように、僕も顔じゃ負けちゃうから心の面でハンサムになろうと。」
「やっぱり家族はみんなで私の行動に協力してくれているんでね。まあ健常者の、例えば当事者をもった家庭のお母さんでもご兄弟とかお父さんにしてもやっぱりそのう当事者以外な感覚で見ちゃう見られちゃうとか、世間一般人として見られちゃうときは、まだそんな完璧な人間じゃないよっていうような、障害抱えているんだけどっていうような形で置き換えて言わさせていただくと、どっちかっていうとそういった差別は悪かったとか(そう)いう形で言っていただいたり、さっきも病的なものを抱えながら精一杯生きてるんだよねって言って、そういった形で認めてくれている理解してくれている面がございますね。」
「良い医療機関に恵まれたことですね、一つ良いことがあったとしたら。良いデイケアのお友達のメンバーさんに恵まれたということが僕の一番、唯一の喜びですね。
どこかで待ち合わせて映画を一緒に見に行こうよとか、今日は山登って頂上でおそば食べようかとか、また芸能人の話題とか、そういうので結構デイケアに来て盛り上がりますね。
(デイケアは)楽しいですね。やっぱし患者さんの中でも新しいメンバーさんとか入ってくるとまたそこで違う話題の意見が出たり、そういったまあ古き時代から新しい患者さんを取り入れて、またその新しい患者さんの良いとこを見てあげて、長所を見てあげて引き出してあげられるような会話のもって行き方ね、そういった形で取り組ませていただいています。」