「病識がない。最初は勉強をしていたので、先生がデイケアは必要ないと思われていたみたいです。でも昼夜逆転が始まったので、先生が、『保健所のデイケアに行かないか』とおっしゃりはじめたのですけれども、保健所のデイケアは週に2回で午前中だけなのですが、真面目に行かなかったです。
37歳の時に、躁(そう)状態になりまして、先生とケンカをして、勝手に、病院(その病院への通院)を辞めてしまったのです。で、別の病院に移ったら、そこの先生が尊敬できる主治医の先生で、その先生がデイケアに行きなさいということだったので、私は、心の病のことを伏せてアルバイトがしたいと言ったのですけども、それよりデイケアのほうがいいと言われて10年通いました。(それは)S先生で3番目の先生ですね。
その時はもう自分で、『続けるんだ』と思って初日から行ったので続きました。(最初は)必要ないと思ったし、面白くないと思ってしまって……。通ってみたら、やはり社交性がついてきたり……。あと、敬語がめちゃくちゃだったのですね、アメリカ帰りだったので。アメリカには敬語がないので。敬語をだんだん覚えていくようになったり……。
あと、私はアメリカ帰りなので、支援者の方に嫌われる傾向があったのですね。『生意気だ』というので。ですけど、デイケアのスタッフさんはそんなへんてこりんな私でも、個性として受け止めてくださって、居心地が良かったのですね。それで、本当は2年ぐらいしたら作業所に移るらしいのですけれども、10年いてしまいました。
10年いまして、日射病にかかりまして、2週間ぐらい寝込んでしまったのですね。それで、精神病薬が外れてしまって、計算ができない、字が書けない、ろれつが回らないとなって、K病院に入院になりまして。その時母も妹もK病院だったので、そこのデイケアのスタッフさんから戻って来るなと言われました。家族一緒にケアされるほうが、病院側としては楽だったらしくて……、そのままそこにいて欲しいみたいに言われて。その時、もう2年前ぐらいなのですけど、それからずっと同じ所(病院)です。」
「最初は、作業療法士でピアサポーター、WRAP元気回復行動プランのことを学んで、やりたいなと思っていたのですけど、方法が見つからず、そこのデイケアに通っていました。それから、交通費を払っているのがばかばかしくなって、花屋さんの作業所に移ったのですけれども、ちょっと時給が低すぎて赤字になってしまったので、移らせてもらいました。
前々からピアスタッフ協会の会員ではあったので、用事があって昼間は(事業所に)行っていることがあって。(事業所の)様子を知っていて、すごくいいな、ここに来たいなと思っている時に、所長さんが、『来てもいいよ』みたいなことを言ってくださったので、移ってきました。
工賃が入ってきます。私は上限が2コマで、1コマがだいたい800円なので、1日1,600円ぐらいですね。今、3か月目ぐらいですね。」
WRAP(Wellness Recovery Action Plan:元気回復行動プラン):メアリーエレン・コープランドさんらアメリカの当事者の力で育てられてきている「自分が毎日元気でいるための工夫」を自らプランとしてまとめたもの。トレーニングを受けたファシリテーター(進行役)がプログラムを実践し、参加した当事者が自分のプランを作り上げていく。