④ 当事者との向き合いについて
「大事にしていることは、その人にとっては忌まわしい経験かもしれませんし、出来事かもしれませんけども、その忌まわしい結果や失敗も、その人なりに生きようとしてもがいた結果で起きたことであるということで、結果とは別に、そういうもがいて生きてきたその人を徹底して尊重するということですかね。」
「それは、いっぱいありますよ。やはりこの分野で仕事をしていて、『こういう経験だけは絶対したくないよな』という経験は、ほとんどしてきたつもりですよ。
(例えば)メンバー同士がぶつかって、それで相手が亡くなってしまったとか、それは一番残念だったし。それから、火事を出したこともあるし、目の前で飛び降りられたこともあるし……、こういう仕事をしているといろんなことに遭遇するのですよ。」
「やはり、そういうことがあった時こそ、今度は私達が、ここにいるみんなに相談するということがちゃんとできるかどうかということですよね。
解決がなくて、どうしていいか分からない時こそ、みんなに私達がちゃんと心の底から相談する。常に、そういうことをみんなで分かち合って、内々(うちうち)にとか、内々(ないない)にとか、だれか有力者の中だけで(終結)したりしてしまわないで、みんなで困る、みんなで悩む、みんなで行き詰まるということを怠らないということですよね。」
「『降りていく』というキーワードは、私が学生時代にたまたま読んだ思想家のティリッヒというアメリカの思想家がいるんですけどね、そのティリッヒの言葉の中に『人生は生まれた瞬間から、死ぬ瞬間まで、ひたすら終わっていく人生』という表現があるのですね。生きていて、人は死ぬのではなくて、生まれた瞬間からの高さから、死ぬ所まで、毎日毎日私達は死んでいるという……。
そういうティリッヒの言葉に出会った時に、『あ、人間って毎日毎日死んでるんだ。死ぬというのは、その毎日毎日死ぬという営みがそこで途切れるだけの話なんだ』ということを、私は学生時代に、ティリッヒの『存在への勇気』(新教出版社、1954年)という本で知って、それを(が)ずっと自分の心の中にあった。
で、私はこの浦河へ来てソーシャルワーカーとして仕事をして、アルコール依存症の人達に、どうしたらお酒をやめさせられるか、やめてもらえるかと、もう、いろんなことをやり尽くしてやり尽くして3年・4年経った時に、胃潰瘍になってですね、倒れた時があって。その時に、自分の努力の結果としてこの人達が(飲酒を)やめるというような幻想を自分は持っていたことに気がついて、『この人達をやめさせようと思うことから降りよう』と思ったのですね。
そしたら、当時、浦河(赤十字病院)に(いて)、今、東町診療所(浦河町)でお医者さんをやっている川村(敏明)先生も、同じ経験をしていて、自分も治そう治そうと思っているうちは全然、そういう人達は回復しない。で、自分は無理だと思って、本当に降りた時からメンバーの回復が始まったという。
そこでティリッヒの言葉と私達の経験が、つながるわけですね。そういう意味では、自分の努力の結果として何か報われるという、そういう上昇志向的な発想とは違うところに人の回復とか人の生きやすさがあるんだと。それで、浦河の中に(で)は『降りる』は、ま、1つのキーワードとしてずっと今まで大事にされてきたということですね。」
パウル・ティリッヒ:1886年に生まれ、1965年に没する。ドイツの神学者・哲学者で、哲学教師として教壇に立ったが、1933 年にナチスによって大学より追放されアメリカに亡命する。
「『降りていく』という言葉、あくまでも昇る人生を歩んできた結果として私は、そういう言葉が逆に自分の中に染みてきたという経験があるわけですね。ですから私は、けっして昇ることを否定するわけではなくて、どんどん昇ればいいし、がんばればいいと思うのですね。そういう経験が無駄だとは言っていない。
でも、ある時、ふと『降りる』ということの大事さに気づくことがある。だから初めから降りる必要はない。だけど、そういう人達が降りようが昇ろうが人は実は降りているんだよみたいな(感じ)ですね(笑)。
で、本当にいろんな大変なことが起きた時に、私達は、実感を込めて言ったの、『がんばろうね』と。その時は、本当に心の底から『がんばろうね』と言いましたよね。だから、言葉って、その場面場面で初めて意味がある。」