「私が受診しようと思って行ったわけじゃないんですけどね。まず、病院で看護婦(師)をしていて、まあ、(看護)学生やったんですけど、寝れないとかで倒れて、一旦救急車で運ばれたんです。
その時に、『うつ病』と診断されました、すぐに。うつ病だけやったから、親に言うたら、要するに『うつ病』って、いい名前の病気やないじゃないですか?一般素人から見たらね。だから、他の病院に(も)受診しに何回も行ったんやけども、全部『過労や』と言われました。過労だったら、もう2か月間仕事を休みましょうということで、休んだんですけど。
(その)2か月の間に(看護)学校も行かないといけないから、学校に行っていたんですけど、休みがすごく取れるわけでもなくて、(仕事に)戻った時には、まだまだ全然フラフラの状態でした。仕事をしながら、学校に行く。それがちょっと私は両立ができなかったんやろうけども。
その半年後に友達が過労で死んでしもうて。その過労で死んでしもうた原因が、私が殺したっていうふうに、何人かに言われたんです。それで、学校の先生も、その病院も、『そんなんするわけがないのに』っていうことなのに…、お葬式みたいなのがあってね、お葬式で、警察に(の)、『あの子か』っていうこと(言葉が)聞こえたんですね。で、全然もうそんな警察のことなんかどうでも良かった。死んだ友達の顔が見られたらと思って…、その顔見たら、途端におかしくなった。
入院じゃないです。親だけが精神科病院に行って、ここの病院には看護学校もついているし、(私は)絶対ここには来ないと、親が病院の人に言うたら、『そこまで分かってるんやったら大丈夫ですよぉ』と言うことで、(病院ではなく)今の診療所に変わったんです。」
「1か月だけ、だいぶ経ってから。」
「診療所に通うことになったんですけど、睡眠薬をもらって飲んでいたから、夢うつら(夢うつつ)。現実でも、実際でも夢の中。それが分かるまでの間、半年ぐらいかかったかなぁ。
で、入院をしたくないと言うてて…。『入院したくなかったら、せんでもええよぉ』と、医者には言われていたんですね。ほんで、『あんたいろいろ考えるのやめなさいなぁ』と先生に言われて、『やめなぁ言われても浮かんでくるもん』と言ったら、『浮かんでくんの分かってきたぁ?』と言われてね。それで、『あ、これ病気なん?』と言ったら『病気や、病気やで』(と)。そこで自覚ができたんです。半年。よう先生も半年間変な妄想を聞かされたもんやと思う。」
「(その時は)お薬は飲まされていましたけど、なんのためのお薬かも分からずに飲んでいましたから。」
「以前、過労と言われた時に“うつ病”と医者に言われて…、急に病院替わったじゃないですか、替わった時点で、もうすぐに、昔で言う精神分裂病と言われました。
うつ病と言われた時は19(歳)。それで、ほんまに精神分裂病と言われた時は、二十歳を超えていたと思いますわ。」