「病院(の)デイケアじゃないねんけど、その頃はデイケアじゃないんやけど、毎日病院に通って、同じような境遇に遭った子としゃべっていました。
他の病院は静かじゃないですか?うちの病院は賑やかでね。だから(それを)先生に言うたら、『いいコミュニケーションの場になっているんだよぉ』とか言っていたから、すごく楽しく毎日病院(に)行っていました。」
「まず、看護婦(師)を、まだしたいから、学校に行きたいと言っても無理じゃないですか?あんなハードな実習、お金もかかるしね。だから、『ヘルパー(は?)』と医者に言われて、『ヘルパーの資格取ったらどうやぁ』と言われて、26(歳)の時にヘルパーの資格を取ったんです。
そこからが続かないんですよ。『ヘルパーの資格を取った、これでなんとかイケるわぁ』と思ってたんやけども、ヘルパーで、どこの事業所が雇ってくれるのか。その時にはピアヘルパーと、ピアもなかったし、普通の人の中でやっとってきたし。そんなん、いくら勉強してもね。
(資格を)取ったはいいんねん、そこからが続かなかった。そこから喫茶店に勤めに行って、ずっと何回も辞めたり、またお願いしたり、辞めたり、お願いしたりで、何回か、何十回も変わったかな?
ほんで、それから、行くところがないから(と)いうことで、保健所に相談したん。保健所に相談したら、とりあえず話だけ月に1回聞かせてと言われて、毎月、病院に行きながら保健所にも行って通っていたら、シャテキって知っています?社会適応訓練って“社適”と言うんですけど、その訓練で、身体障害者の施設に行って、外から来る利用者として通ったら、社会適応訓練1日2,000円おりてくるんですね。それで20日行ったら4万円じゃないですか。だからその4万円をもらいたいがために行っていたんです。」
「それは、車椅子の押し方から全部、ヘルパーの(に)役立つことばっかりでした。
2年までなんです、社適は。その後が行くところがまた無くなって、すぐに作業所に行ったんや。今の作業所じゃなくて、交野(かたの)にある(別の)作業所に行って、そこからすぐに老人ホームに勤めに行くことになって…。」