がんと向き合う

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渡 喜美代 さん
(わたり・きみよ)
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1963年生まれ。両親と兄姉5人の8人家族、自然に囲まれた環境で育つ。上京後24歳で結婚、1男2女に恵まれる。38歳のとき直腸がん(ステージ2)と子宮頸がん(ステージ1a1)が見つかり手術、人工肛門と人工膀胱を造設。放射線性直腸炎、仮性大動脈瘤破裂、腎盂腎炎などを経験するが、がん体験者の本を読んでインドの死生観に触れたことで、病気が怖くなくなる。
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1はじめの症状 (2002年4月)

「最初の症状が出たのが2002年4月です。(その前から)下血はずっとあって痔と思って放っておいたのですけど、左の下腹部あたりのお腹の痛みもあったので、大学病院の婦人科を受診しました。

受診すると『要検査』という結果が出て、検査まで2週間ありましたが、その間に高熱と不正出血があったので、2週間待たずにまたその病院に行きました。それで貧血がひどくて、そのまま緊急入院になってしまいました。それが2002年5月です。

『卵巣がちょっと腫れているかな』とは言われたのですが、病名はまだついていなかったです。入院のいちばんの原因は貧血でした。数値が普通の人の半分ぐらいしかなくて。

今思えばですけど、貧血は(以前から)ありましたね。階段を上るのも結構しんどかったり、あと爪がかなり反っていたんです。ただ徐々に出血していったのでまだ日常生活を送れていたんですね。ごまかしごまかし日常生活を送っていたという感じです。それでとにかく39℃ぐらいの熱がボーンと出てしまいました。ただお家にあった常備薬で熱をさまして家事をしていたので、すぐに病院に行くということはなかったのです。

お腹は我慢できない痛みではなく、ちくちくちくちくという感じでしたが、なにか気持ちがすごく妙だったのです、うまく説明できないけれど。普段だったらそのまま放っておくような些細な痛みなんだけど、そのときはどうしても気になってそれで病院にきました。それが結果的にはよかったのですけど。」

●個室代1泊38000円

「(入院の個室代は)1泊38000円ぐらいでした。部屋代が気になって、ちょっと入院どころじゃなかったんですよ。4日目に熱も下がって自分も少し落ち着いたので『もう帰りたいです』と言って。入院中に血液検査をして腫瘍マーカーなども調べてもらったんですけど、状態もよかったので結果を待たずにとりあえず退院しました。

すると退院した日の夕方、主治医から『大腸の腫瘍マーカーが反応したので、婦人科の検査を待たずに外科にかかってください』と電話をいただいて、『はいわかりました』ということで。

本来ならその病院に行くのですけど、たまたま家にあった病院の本をぱらぱら見ていると、5つぐらいがんの専門病院が紹介されていました。その中で内視鏡で権威のある先生が紹介されていて、病院もできたばかりと書いてあったのです。すぐにそこの病院に電話をすると、その先生の検査の予約が翌週の火曜日に取れたので、そこに行こうということになりました。」

●別の病院で大腸内視鏡検査 (2002年5月)

「(2002年)5月28日の朝、その病院に行きました。すぐ大腸内視鏡検査が始まって、副院長先生の検査ということで、研修医、外国から勉強に来ている人たちがずらっと並んでいるのが印象的でした。私は麻酔をしているからぼーっとしているんですけど、検査が始まった途端に先生が『ん?この人、家族来てる?』みたいな感じで、家族がもうすぐに呼ばれちゃったんです。

私のがんはすごく大きくて、カメラを入れてすぐに入らない状態だったと思うんです。自分もモニターの画面を見ているから『ああっ』て感じで。検査を待っている間に、病院の廊下に貼ってあった『これが大腸がんですよ』という写真を何気に見ていたので、『同じだ・・』という感じでした。

姉と夫と3人で別の先生のところに呼ばれて、『このまま入院してください』と言われました。『がんなんですか?』と聞くと、『いや、まだいろいろ他にも検査しなきゃいけないから、それは言えません』と言われて、そのまま入院しました。

すごく早かったですよ。5月28日に検査、入院して、翌日には婦人科のCT検査もあって、尿管が狭くなっているということで泌尿器科もすぐかかったし、6月6日の手術まで1週間もないぐらいでした。その病院のコンセプトが『各科の垣根がない』ことと本に書いてあったので『なるほど』と思いました。本当に早かったですね。」