がんと向き合う

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渡 喜美代 さん
(わたり・きみよ)
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1963年生まれ。両親と兄姉5人の8人家族、自然に囲まれた環境で育つ。上京後24歳で結婚、1男2女に恵まれる。38歳のとき直腸がん(ステージ2)と子宮頸がん(ステージ1a1)が見つかり手術、人工肛門と人工膀胱を造設。放射線性直腸炎、仮性大動脈瘤破裂、腎盂腎炎などを経験するが、がん体験者の本を読んでインドの死生観に触れたことで、病気が怖くなくなる。
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3ふたたび直腸がんの手術 (2002年9月)

「8月末にふたたび入院して9月2日に直腸がんを取り除く手術をしました。子宮頸がんのほうは初期(ステージ1a1)だったので、6月の手術(円錐切除術)で終わっています。一時的に作っていた人工肛門(ストーマ)は、縫合不全があるかもしれないので、(閉じずに)そのままでした。」

●術後の下半身の痛み

「この手術のあと、坐骨神経痛に似たような痛みと下半身の痛みがものすごくあって、病院でも痛くて痛くて、痛み止めの注射を打ってもらっていました。整形外科で調べてもらったのですけど、『特に異常はない』ということでした。でも本当に痛かったです。

1日2回痛み止めの筋肉注射(商品名 レペタン;塩酸ブプレノルフィン)をしてもらい、1日4回朝昼晩と寝る前に痛み止めの薬(商品名 ロキソニン:ロキソプロフェンナトリウム)を飲んで、また夜中に痛くなるのでそっと痛み止めの薬を飲んでいました。寝て2〜3時間して起きてから朝までの間がいちばん痛かったですね。朝ごはんを食べたあとに薬を飲むのですが、とにかく痛みで食欲がなくて、ご飯も食べられなかったです。

看護師さんに『痛み止めに対して依存症になっている』と言われたのですけど、ひとりの看護師さんが『前にも同じような大きな手術をして、渡さんみたいな痛みの出た人がいたよ』と言われてすごくほっとしました。『自分の痛みは間違いじゃなかった』というのは変ですが、そのときはすごく嬉しかったです。

10月はじめぐらいに退院したのですが、痛みは家に帰ってからも年内は続きました。痛み止めの薬を飲んで、筋肉注射と同じ作用の座薬を入れてと、もう本当に痛みに振り回される毎日でした。ベランダに物干しロープがあり、『あれを首にかけたら楽になるかな・・・』と夜、寝ながら思ったりしました。でも隣で子供たちがすやすやと寝息を立てて寝ているのを見て『はっ』とするんですね。『は、いけない』と思いながら、でも『この痛みから解放されたい』ってそれだけですよね。」

●消えていった痛み

「その頃、リフレクソロジー(足や手のつぼのマッサージ)を気休めに受けました。多分それと、手術して1ヵ月、3ヵ月、4ヵ月という時期的なものもあって、痛み自体は自然に消えていったのです。痛み止めの薬もだんだんと減ってきて、年が明けてもう2月ぐらいにはほとんど痛みのない状態で、逆にすごく元気になりました。その頃、抗がん剤も始まっていたのですけど、その2003年の1年間はいちばん元気に過ごせていたときだったかもしれないです。」

●痛みの世界とは

「本当に薬が手放せなかったですよね。でも痛みがあって何もできなかったり、気持ちがすごく落ち込んだりするよりは、薬を飲んで痛みが引くほうがいいので、痛みをとる治療はすごく大事なことだなと思いました。痛みがあると本当に何もできなかったんですよ。今の今まで正常な自分が、1秒後には本当に気が狂うんじゃないかという感じですよね。

薬が効かなくなるということはなかったのですけど、痛み止めは飲み薬のほかに、座薬を2種類もらっていました。痛みもひとつの痛みじゃなくて、いくつかの痛みが重なっていて、この痛みにはこの薬が効くという感じがありました。だから他の人が見れば『(薬を)乱用している』と思うと思うのですけど、自分ではうまくコントロールできていたような気がします。何時頃はこの薬で何時になったらこの薬、みたいな感じで。

痛くなくなれば(薬は)やめられると思っていました。それは経験したからそう思ったのかもしれないですが、その頃は中毒でも何でも『この痛みさえなくなれば』と思っていました。」