がんと向き合う

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渡 喜美代 さん
(わたり・きみよ)
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1963年生まれ。両親と兄姉5人の8人家族、自然に囲まれた環境で育つ。上京後24歳で結婚、1男2女に恵まれる。38歳のとき直腸がん(ステージ2)と子宮頸がん(ステージ1a1)が見つかり手術、人工肛門と人工膀胱を造設。放射線性直腸炎、仮性大動脈瘤破裂、腎盂腎炎などを経験するが、がん体験者の本を読んでインドの死生観に触れたことで、病気が怖くなくなる。
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5永久人工肛門と人工膀胱 (2006年3月)

「3月に人工肛門(ストーマ)を造る手術を受けて、目が覚めたら人工膀胱も作られていて『えっ?人工膀胱も?聞いてない』と思いました。1〜2年経ったあとに先生が説明してくださった当時の説明書を見たら、『ここらへんに人工膀胱を作るかもしれない』という絵があって、先生はその場で説明はしてくださっていたんです。でもまさか人工膀胱もというのは頭になかったので、先生の話がまったく耳に入っていなかったんですよね。だから手術から目が覚めてただただびっくりしたというか。『どうしよう、買い物に行けない』って思いました。そこはちょっとあほなところなんですけど。」

●喪失感に声を出す気力もなくなる

「やはりいろんな意味での喪失感があって、手術が終わったあと1週間くらいは、もうまったく気力がなかったですね。麻酔をしているので本当は声を出さなければいけないんですけど、声を出す気力もなくて。いろいろ質問されても首で答える感じで。

人工膀胱がというよりは、何か喪失感。何を喪失したのですかね。女性としてとかいろいろ考えたのかな。ちょっとわからないんですけど、すべての気力がなくなってしまいました。

だから先生方もびっくりしていました、いつも明るくしていたので。先生に『自分ができるのはここまでだから、あとはもう自分自身でね、前を向いていかなきゃいけないんだよ。そこは手助けできないんだよ』という感じのことは言われました。日にちが経つとそういうのも徐々に薄れていって、いつの間にかまたいつもの自分に戻っていました。

人工肛門と、人工膀胱と、膿を出すカテーテルと、3つお腹に抱えたまま退院してきました。その後は結構順調で元気に過ごしていましたね。遠くに行くことはなく、ほとんどお家の中ではあったんですけど。」

●仮性大動脈瘤破裂 (2006年9月)

「人工膀胱を造っているので腎盂腎炎に結構なりやすくて、7月、8月とたまに熱を出してはいたんです。9月に突然大出血をして緊急入院すると、仮性大動脈瘤破裂でした。ストレッチャーをガタガタと押している先生に『まだ死ねないんですー。子供と約束したから、先生まだ死ねないんですよ、私』と訴えていました。息も苦しくなってきて、気も遠くなってくるんですね。『あぁもうだめだ』と思って。

今回も突然の入院だったので、『子供たちにもう会えないのかな・・』とか、1年前に姉が急死していたので、『淋しくって迎えに来たかな・・』といろいろ考えながら、意識がだんだん薄れていく感じでした。

でも治療が終わってから、主治医の先生が『よかった、助かったよ、もう大丈夫だよ』と・・。炎症を起こしたままの腸をずっと放ったらかしにしていたり、膿を引くためのカテーテルをお腹の中にずっと入れていたので、それが悪さをしていたというふうに聞きました。仮性大動脈瘤はだいたいそういう感じでできるみたいです。」

●子供たち3人だけの生活

「そのときはじめて子供たちは3人だけで生活していました。2週間ぐらい入院しましたかね。電話しても『大丈夫』と言っていました。体調もよくなって退院して家に帰ると、あちこちに畳みかけの洗濯物があったり、洗いかけのお茶碗があったり、子供たちが一生懸命生活しているのがそのまま残っているんですよ。切なくなりましたね、本当に。

その後は2回、腎盂腎炎で緊急入院しましたけど、もうここ2〜3年ぐらいは入院ということはないですね。」

●腎盂腎炎の症状

「腎盂腎炎の症状は悪寒戦慄、もういきなり寒気がきて震えがきて熱が40℃ぐらいボーンって上がっちゃうんです。(人工膀胱の装具につないだ)管から真っ黒な尿が出て『うわーっ』という感じです。それはもう抗生物質を点滴して、あとはその症状が出たときは薬を飲んでお家で安静にしています。」